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2008年8月19日 (火)

ビア修行 いざ東京へ

大学をなんとかかんとか卒業。親の反対を押し切っていざ東京へ。

新宿の小さい映画制作会社へ潜り込んだ。

名前は幻燈社。映画監督になりたいが為に映画人手帳を片手に必死に探した会社だった。

映画「サード」をはじめとした70~80年代のATG黄金期の中心となっていた会社だったが、自分が入社した時にはバブル崩壊の始まりの頃で、業績は落ち込み、それでも必死にスポンサーをかき集めて映画を作っていた。

今でも初めてそこを訪れた時のことは忘れられない。

大志を抱いて新宿西口からタクシーに乗り込んで「西新宿の幻燈舎まで!」と運転手につげると、

「どこですか?そこ?」

おいおい、天下の幻燈社をしらね~のか、と思ったが、住所を伝え、ともかく行ってもらう。

やがてタクシーはとあるビルの近くに止まった。「ここらがその住所ですねぇ」「あ、そうですか、小林ビルはどこですかね?」「いや分からないね、このへんじゃないですか?」

仕方なく降りて、すぐ近くの汚い雑居ビルの一階にある弁当屋に聞いてみたら、なんとそこが小林ビルだった。

ここかよ…

すでに少し後悔しつつ、重い足取りで奥に向かい、今にもぶっ壊れそうなエレベータに乗る。上にあがりつつ、今だったらまだ間に合う、家に帰ろうかと逡巡していると扉が開いた。そこはもうすでに自分が夢にみていた映画の世界だった。

あちこちにフィルム缶が無造作に置かれ、制作した映画のポスターがベタベタと貼ってあり、カチンコ(ああ!カチンコ!)がガムテープや作業箱のところにいくつも置いてあった。

その奥からなにやら怒号が聞こえてくる。すみませ~ん、と声を遠慮気味にかけても怒号は止まない。なにやら電話で相手とやりあっているようだ。

靴を脱いで中に入ると、50代の薄らハゲのメタボ親父が一人いて、受話器をガシャーンと叩きつけた。そして眼鏡の奥から眼光するどくこちらを睨みつける。すくみあがった。多分お金のことを話していたから経理担当のオヤジなんだな、大変そうなのは分かるけどこっちまで飛び火させんなよな。ノーネクタイにヨレヨレのズボンでこっちに向かってくる。

「え~っと面接にきたAと申しますが、プロデューサーの前田さんはお留守でしょうか?」

「わたしが前田です!」 http://fanto.org/kazemakase/kaze-maeda.htm

Oh my goodness!

それでもその時の前田氏の眼光にやられたのか、そのまま入社してしまった。

そこから自分の短いながらも凝縮された映画生活がスタートした。事務所で紹介された向ヶ丘遊園の月2万のアパートを拠点に、むさ苦しくもピュアな生活が始まったのだった。

前田さんには今までの自分の既成概念をあっさりとぶち壊された。映画観のみならず人生観、自分の考えたことすべてが否定され、どん底に落とされる。そのくせ給料は遅配は当たり前。16年経った今現在でも給料半年分は未払いのままだ。それどころか、アコムに自分名義で金を借りてこさせられるのは勿論の事、質屋に自分の腕時計まで預け入れしたことも度々だった。

ひもじいのと、仕事がうまくいかないのと、将来への不安を抱えながら新宿都庁を横目に涙ぐみながら帰途につく日々。その中でも頭の中はシナリオの構成を考えていたんだよな。下から上をみる反骨精神はその時に養われたにちがいない。

そんな状況下、知人から金を借りて、未払いのスタッフに金を渡す自転車操業の中で、すこしでも金が残ると、時折前田さんと近くの台湾料理屋で飲むこともあった。汚い店だったが、活気があって、料理は抜群だった。

よく頼んだのはトマトの卵炒めだった。思いのほかビールが良く合った。

当時の味を思い出しながら作ってみた。

Photo_2

材料:トマト大 2個くし型6~8切り 卵3個 サラダ油 ゴマ油 鷹の爪 ニンニクみじん 塩 胡椒 三温糖少々 中華風鳥のスープ オイスターソース しょうゆ 細ネギ 

作り方 ①サラダ油とゴマ油を合わせ、半分に割った鷹の爪1本とニンニクみじんをゆっくり炒める。②トマトを入れ、ぐずぐずにならないように注意しながら、塩コショウ、三温糖を入れ、軽く煮詰める。③溶いておいた卵を入れる直前に鳥のスープを50ccほど入れ、卵を入れてオムレツっぽく火を入れる。④オイスターソースとしょうゆを少々加え、卵をお好みの固さで仕上げる。細ネギなどを彩りよく散らす。 

その店で良く前田さんと映画論を戦わしたが 、自分のつたない映画論に前田さんはよくつきあってくれたと思う。そんな時の前田さんはニコニコしていた。「映画とはなんじゃ 人間とはなんぞや?」というまるで禅問答のような問いかけにいつも上手く答える事ができなかった。諸事情で幻燈社を去る直前に書き上げたシナリオを唯一認めてくれ、「乱暴だが、良く伝わるわな」と言ってくれた。

電話好きで、知識が豊富で、意外とモテて、怒りんぼうなくせに弱虫で、卑怯で、でも右翼と渡り合ったくらいの自分の主張を曲げないオヤジで、そして、とことん金には縁遠かった前田さん。

自分にはある意味「父親」であり、いろんな面を見せてくれた「男」だった。

それから月日が流れ、自分が結婚する6年前の2002年、報告を兼ねて幻燈社に行った。

小林ビルはすっかり新しくなっていて、汚い弁当屋もなかった。当然、幻燈社があるわけもなく、ビルの管理人に聞いたら脳梗塞かなんかで倒れたとの事。その後の消息も分からずじまいだった。

今回このブログを書くにあたっていろいろ調べてたら

前田さんがその後不慮の火事で亡くなっていたことが分かった。

シグロの松井さんが大阪で世話をしていたらしい。前田さんは松井さんにもかなりの迷惑をかけていたと思うが、本当に頭の下がる思いだ。

  ああ、お前は何をしてきたのだと、

              吹きくる風がわたしに言う。Photo

http://www.yidff.jp/2003/cat009/03c013.html

前田さん、いつか幻の名作「ゆきてかえりぬ」撮りましょうや。

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