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2008年9月

2008年9月22日 (月)

エコエコ アザラク?

ECO エコの時代である。

9月から御殿場でもスーパーなどでレジ袋の廃止、有料化が始まった。

商売柄よく買い出しに行くので、ここは有料、こちらはタダと考えながら車を走らせる毎日だ。エコバッグはもちろん持っているが、つい忘れたり、買物が入りきらない時も多く、そんなに使ってないのが現状だ。車に忘れてエコバッグを持たずに会計の際にレジ袋の代金を払わなくてはいけない時はわずか5円~10円とはいえ、一瞬歯ぎしりするほど悔しくなる。段ボールを貰う手もあるが、僅かの買い物でそんな事もしたくないし、段ボールがもったいない

その勿体ない、という考えは日本の独自の伝統文化、なんだそうだ。

もったいない→  http://miyuki-konko.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_8a09.html

英訳してもぴったりのが無いようで、欧米得意の「合理化」とも違う。そんな勿体ない精神が今の日本のエコブームを作ったと思える。レジで「袋はご入り用ですか?」と聞かれ、「いえ要らないです」と答えると、エコに少し貢献したような気になってしまうのは、日本人の美意識からなのか、欧米化か?ちょっとオサレ~な感覚なのだ。エコバッグ自体は100円ショップでも買えるが、有名デザイナーがデザインしたエコバッグが2000円で買えるというので、アホな行列ができるのは、ちょっと本末転倒な気もする。

なぜレジ袋を有料化するようになったのかは、ひとつは限りある石油資源ということで、店から家までの短い距離しか使わないレジ袋はもったいないだろうという考えと、現在の消費社会から脱却するための最初の手順として槍玉にあがったのだと思う。現在は自主的におこなわれているこのレジ袋有料化は世状をみつつ、容器包装リサイクル法の改正で法律化されることだろう。

自分はレジ袋をゴミ袋にしてる事が多いので、もらったレジ袋は重宝している。生ゴミを入れる事もあり、市からもらう緑色のゴミ袋だけではすぐ穴が開いたりして、収集場を汚くしてしまうおそれもあるからだ。でも、生ゴミもちゃんと水切りすれば良いのだし、ゴミ自体を少なくする努力も必要だとは思うのだけれど。

レジ袋を作ってる所も原油高のあおりをくらってピンチだろうに、さらに追い打ちをかけるような状態なんだろうか?倒産するところもあるだろう。「それは時代の流れでしょうがないでしょう」という奴もいるが、当人にとっては「しょうがない」では済まされない問題だ。またリサイクルにしてもそのエネルギーの確保も必要だから、コストもかかる筈だ。古紙再生紙の件でも、コストがかかりすぎるのと見栄えが悪いので、古紙再生を殆どしてなかったというギャグみたいな話には恐れ入ったが、今回もそのような懸念がないとは言い切れない。

懇意にしてる魚屋さんでは、いまだに古新聞で商品を包むことが多い。手際も良く、最後にくるくるっと丸めて輪ゴムでパチン、と留めてもらうと清々しくさえもなる。昔、祖母が竹製の買い物かごを持ってこの魚屋さんで買い物をしていた。その頃からここのやり方は変わってない。

レジ袋有料化は良いことだとは思う。だけどエコだエコだと騒ぐなら消費者だけに強いるのではなく、提供する側もちゃんとエコってもらいたい。本当にマイバッグ持参にしたいのなら店名入りでもエコバッグを提供するとか、商品を自分たちの都合で個数分けして袋詰めをしないで一個から買えるようにするとか、過剰なトレーや包装を省くとか、レジ袋代を商品に上乗せしてるのにちゃっかり二重取りしてるのを止すとか、いくらでもできるだろう。

エコだエコだ、と言ってるのは本当に地球の為なのか?自分たち企業の経営にエコ、なだけで、要は経費削減でレジ袋有料化に安易に乗じているのではないか?最近の日本の大企業のていたらくぶりを見ていると、ふとそんな気さえしてしまうのは自分だけだろうか?

ちょっと面白いサイトを見つけた。オンラインでディベートをしている所だが、興味ある人はのぞいてみてください。

論題 「日本はレジ袋税を導入すべきである。是か非か。」

オンラインディベート→ http://www.debate.shadow.ne.jp/try/2nd-jhs/

エコじゃなくてエゴだと言われないように注意したいですね。

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2008年9月17日 (水)

湖粋の奥さん

18歳の頃から3年ほど働かせてもらった「レストラン湖粋」の奥さんが先日亡くなった。

イタリアンレストラン 湖粋→ http://www12.ocn.ne.jp/~kosui/

59歳だった。自分が居た頃はもう20年前だったから、その時奥さんは39歳、今の自分たちと同じくらいの年だったんだ。店は毎日忙しく、昼夜問わずお客さんが来ていて、奥さんはその頃は主に厨房にいて、言葉は悪いが、それこそ子ネズミのようにしゃかりきになって働いていた。どちらかというと見かけは仏頂面な方だったが、心は温かい人で、はじめは怖そうだったが馴れくるとかなりキツイ冗談もお互い飛ばしあい、暇な時間にはホールに出て一緒にお茶をしたりした。

その頃の湖粋はどちらかと言うと田舎の洋食屋さんみたいな感じで、タンシチューを始めとしてハンバーグや絶品のパングラタン、チキンピカタライス、クリームボンゴレやステーキサンド、などといった魅惑的な料理がたくさんあり、それこそどれもお勧めでお客さんに「どれがおススメ?」なんて聞かれて大いに困った思い出がある。年季の入った木の温もりがある店内で、自分のお気に入りの席は真ん中の10人掛けの大テーブルだった。そこでまだ若かった高校時代の悪友達と一緒に、飲みや、食事をした事は忘れられない思い出だ。

自分の店を始める際に、真っ先に頭にイメージしたのがこの大テーブルで、スペースの関係上、位置は奥の方になってしまったが、気のあった友人たちとここで大いに飲んで食べて語り合ってほしいと願って作りあげた。

湖粋は自分が洋食の世界に飛び込んだ最初のお店で、マスターはじめ、他のコックさんや、昼に一緒に働いてたひとみさん、常連のお客さん(俳優の勝野 洋さんも常連の一人だった)達、そして奥さんからサービス業の一からを教わった。そして楽しかった。今でもなんとか店を続けていけるのも、一つのお店の理想としていつまでも「湖粋」があるからだし、サービス業の楽しさを「湖粋」で教わったからだと思う。

スタッフ割引があるのを良いことに、良く湖粋に行って飯を食わせてもらった。勉強するかのような顔つきで、シチューやらパングラタンなんかを頼むと、必ずキッチンの小窓から奥さんが顔をだしてくれ、儲からない客なのにサービスでサラダを出してくれた。サラダにそえてあったマヨネーズは自家製でちょっと弾力があって大変おいしかったのだが、そのマヨネーズ作りはいつも奥さんの担当だった。マスターと奥さんは見た目には決してラブラブではなかったが、休みの日に皆でバーベキューなんかしているときに、少し酔った奥さんがマスターの肩によりかかり、マスターは一見迷惑そうな顔をしながらも、なんとなく嬉しそうだったのが印象に残る。幸せだったんだろうな。

まだ若造だった自分の目から見ると、お店は順風満帆のように見えたが、マスター家族は店の裏にあった小さい借家に住んでいた。真面目な仕込みをしていたし、人もたくさん使っていたので、経営は左団扇という感じではなかったのかもしれない。質素な生活だった。朝お店に行って着替えるために自宅の一室を借りるのだが、そこで奥さんが縫物をしてるのを時折見たし、お店自体も無駄な事はしてなかった。二人の子供がいて、まだ小学生だったろうか、二人ともやんちゃ坊主で、良く兄弟げんかしていて仕事中に奥さんに怒られていたのも今となっては懐かしい。でもどんなに忙しくとも、子供への食事は奥さんの手作りだった。現在自分が子供がいる身になると、奥さんの子供への愛情が痛いほど良く分かる。

先日のお葬式には大きくなった息子二人がいた。真面目そうな兄貴と、やんちゃ坊主がそのまんま大きくなって髭をたくわえたかのような弟がマスターと一緒に、奥さんを見送っていた。マスターは気丈にふるまっていたが、いつもそうなので、その心情は察するにあまる。でも息子二人がきっと「湖粋」を支えてくれるだろう。そしてこれからも御殿場の名店になっていくに違いない。

自分はここ数年バタバタとしていて、なかなかマスターや奥さんに顔を出せなかった事を後悔している。お世話になった人たちなのに、自分は良く義理を欠いている事が多い。

やはり世の中は人と人のつながりなんだから、どこでつながるか分からないし、出会いを大切にしていこうと思う。

奥さん、長い間おつかれさまでした。

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2008年9月12日 (金)

石窯パンとおいしい学校

休日を利用して山梨へ順子と出かけた。

子供は保育園に預ける。ちょっと心苦しいが、たまには良いだろう。

今日は清里に行く途中にある「おいしい学校」へパン焼き体験に行くのだ。

おいしい学校→ http://www.oec-net.ne.jp/index1.html

ここには何回もでかけている。昔の学校を移築して郷土資料館や、宿泊施設、ハーブ温泉や、こんな田舎には不釣り合いな程の洗練されたイタリアンをやってたりして、前にスタッフや友人と食べに行った。さわやかなトマトソースのパスタが美味しかった。そこにベーカリーも併設されていて、前から気になっていたのだが、パン教室をやってるので今回予約をしたのだ。

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受講料ひとり2500円。5種類のパンを作る。これが高いのか安いのか分からないが、とにかく行ってみよう。

ガソリンをいつもより多めに入れて、秋晴れの富士五湖道路をとばす。助手席はいつも太郎のチャイルドシートがあるのだが、外して横に順子が乗れるようにする。しかし順子はいつもの習性でついつい後ろの席に乗り込もうとしてしまう。

おいしい学校に行く前に「カントリーキッチンベーカリー」に寄りたいと順子が言うので、すこし遠回りになるが、小淵沢ICまで行って、八ヶ岳、原村の方まで足をのばした。

原村には「カナディアン・ファーム」がある。はせやん、というすげぇおっさんが森を切り開いて4000坪の土地に農場やレストラン、燻製小屋や工房なんかを作ってしまった所なのだが、この紹介は次回にしよう。そのカナディアンファームに行く途中の富士見高原に、今回の「カントリーキッチンベーカリー」があるのだ。

カントリーキッチンベーカリー→ http://country-kitchen.info/bakcry.htm

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御殿場から車で約2時間、100キロ強で着く。そんなに遠いとは思わない。この日は天気も良く、気温も暑からず、寒からずといった感じで気持ち良い。久しぶりにリラックスしてるのが自分でもよく分かる。リゾート地ならではの雰囲気によるものか。

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なにげないベンチにもちょっと感動して座ってみる。さぁ、中に入ろう。

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「エジプト式」と呼ばれる石窯である。中で火を焚いたあと、おきを掻きだし、掃除をしてその中でパンを焼く原始的なスタイルの窯だ。店に入った途端に、パンの焼けた香ばしく、おいしそうな香りが充満している。広葉樹の薪の匂いもする。このこじんまりとしたスペースにパンを焼くためのすべてが揃ってる。ホイロ(発酵器)は写真左手の作業台の下段になる。むろん最新式のホイロではないので、温度調節などできる訳もなく、お湯をはったり、夏場は逆に氷を入れたりして温度調整しているのだろう。それが昔からの製法であったはずだ。その昔、ヨーロッパではパンを焼くことは神聖な事とされ、パン焼き職人は司祭同様の尊敬の念をうけていたという。ここにはそんな伝統のエッセンスが感じられた。

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「くるみレーズン」¥735と「ライブレッド」¥525を購入。お腹がすいてたので「くるみレーズン」をむしり取りながら二人で食べる。皮はパリパリ、すこし焦げ目が多く、香ばしすぎるほど香ばしい。薪で焼いたパンならではの香りだ。こうでなくっちゃ、と思ったが、順子には少し焦げ臭が気になったらしい。中身はまだ温かく、パッと見湯気が出てるかと思うくらい。中身はしっとりとして、生クリームのような、酵母が熟成、焼成された良い匂いがする。レーズンが結構多めに入っていて、外側の食感と塩気、中身のもっちりと甘味が大変おいしかった。

スタッフの方と少し話をさせてもらった。多分、川池さんという方だ。

小さい窯なので一度に焼ける量が少なく、そんなに大量生産できないこと、冬場の発酵が難しいこと、朝は6時に出社なので普通のパン屋さんよりかは楽だということ、追い焚きにりんご農園からの枝を使い、その枝がこのお店でのパン焼きに重要なこと、自分は東京のほうからこちらに来たが、やはり来てよかったなどと、忙しい最中話してくれた。

おだやかな人で、こちらのぶしつけな質問にもイヤな顔せずに丁寧に答えてくれた。ありがとうございました。同じ田舎でも御殿場での生活にやや疲れて、魚の目が腐ったような顔の自分と比べてダンゼン、目が透き通っていた。まだまだやりたい事がいっぱいあるんだろうな?そんな遠い目をしてました。

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パン工房の裏手には、工房とはまた違った感じの趣味の良いカフェがある。自宅裏がこんな感じだったら良いのにな~と思ってしまう。

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のんびりできます。

のんびりしすぎてパン教室の事を書くのを忘れてた!また次回にでも…

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2008年9月 4日 (木)

路地裏の少年

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自分は現在御殿場の駅前で商売をさせてもらってる。親が苦労して買った土地だ。

かれこれ30年近くになるから自分は駅前で育ったと言ってもよい。親が今の場所で寿司や和食、宴会場をやってるのを傍で見てきた。無論手伝わされた。お米を洗ったり、茶碗蒸しを作ったり、魚をおろしたり、板前さんに寿司を習ったりした。その時の経験が今役立っているから有難いもんだ、と思う。

勉強もここでやった。店の二階に仮住まいを作り、隣の間でやってる宴会のどんちゃん騒ぎにうんざりしながら、ひたすら親が仕事が終わって上にあがってくるのを妹と待っていた記憶がある。時折酔ったお客が自分たちがいる部屋の鍵をこじあけようとがガチャガチャやるので、妹は非常に怖がっていた。宴会が終わると片づけを手伝った。寄せ鍋の残りにビールを入れられていて、その匂いがたまらなく嫌いで、今でも寄せ鍋はあまり好きではない。

そんな嫌な体験ばかりでなく、ちゃっかり自分も駅前の猥雑な雰囲気を楽しんでいたと思う。隣にディスコがあった時にはガンガン音漏れがしていたので、「ハローミスターモンキー」や「サタデーナイトフィーバー」「セプテンバー」などで踊ってたし、よく喧嘩もあったので、二階のベランダからそっと覗きこんで周りが収拾にやっきになってるのを高みの見物としゃれこんでいた。近くにはヤオハンやキミサワなどの大型店もまだ健在だったので買い物やゲーセンには事欠かなかった(ただし南小の生徒とよくイザコザがあったが)。駄菓子屋の「大野屋」で買った玩具のピストルでションベン横丁(と言って良いのか?)あたりで「太陽にほえろ」ごっこにハマり、「なんじゃこりゃぁ!」とさんざん叫んでいた。

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通称「ションベン横丁」。小さい店が軒をつらねていて、戦後の雑多な雰囲気を残す貴重な通りである。ここの酒場は昼間からやってる所もあるが、入るには勇気がいる。ここで飲んで初めて御殿場の「酒飲み」になれるぜ。

今でも時折映画の撮影をマウント劇場やションベン横丁あたりでやっているのを見かけることがあり、それが必ずと言っていいほどチンピラが追われているシーンの撮影なので、皆やることは同じなんだな~と笑ってしまう。

映画といえば、当時は御殿場に三軒もの映画館があった事をご存じだろうか?この小さい街で映画館が三軒は凄かった。ひとつは今も健在のマウント劇場、もう一つは現在の串特急のところに中央劇場が、あと一つは望月タバコ店の裏にあったのだ。この望月タバコ店の裏にあった劇場の名前は今出てこないけど、中学生の時に「ナウシカ」を見た思い出がある。なぜかいつも浮浪者が一番手前の席に陣取っていた記憶があるが…。その頃はマウントは洋画、中央は邦画、もう一つはたぶん東宝系アニメだったようで、中央劇場はよく日活のロマンポルノをやっていた。子供心にも非常に魅力があり、あるとき友人と探検のつもりで中央劇場の裏手で遊んでたら、なにやらあえぎ声が聞こえるので階段を上がっていったら映写室の片隅に出てしまった。

上映してたのは「ラブレター」。女優さんは当時プッツン女優してた関根恵子(現 高橋恵子)、監督は高橋判明だった。

はじめて見てしまった。友人は怖くて逃げだしてしまったが、自分は凝視していた。

「コラー!おまえ何やっとるか!」との声に振り向いたら支配人のおっさんがドアの所に突っ立っていて、すごい顔をしていた。「どこの子じゃ?どこから入っただ?」そこのドアからに決まってんじゃん…とは勿論言えず「スミマセンデシタ!」と叫んでオヤジの横をすり抜けて一気に階段を駆け降りた。オヤジはまだ何か言いたそうな顔つきだったが、不満そうにドアをバタン!と閉めた。

ドキドキしすぎて、膝がガクガクして体の震えがとまらなかった。すぐに自分の店に戻ったらバレルと思い、意味もなくあたりをウロウロした。店に戻ると親は何も知らずに一生懸命仕事に精を出していた…

大人になって上京して前述の幻燈社に入ったが、ナント「ラブレター」は幻燈社の前田さんが製作にかかわってた事を知らされた。これには驚いた。幻燈社に入る事は運命だったようだ。

今現在、子供が自分と同じように路地裏で遊んだり、駄菓子屋に親子2代でお世話になったり、近所の洋服屋のおばさんに声をかけてもらったりしてるのを見ると商店街ならではの光景でほほえましく思う。しかしここ20年でずいぶん駅前も変わった。昔はいろいろ個性的な個人経営のお店が多かったが、今ではヤオハンやキミサワも他所に移り、お店をたたむ所も増えた。代わりに大手の居酒屋や、ねーちゃんのいるお店が増えた。金・土の深夜なんかはうっかり歩いていると喧嘩に巻き込まれそうな雰囲気だ。

駄菓子屋の「大野屋」さんが閉店した事は残念だった。駅前開発とかもう親父の代からいろいろ言われているけど自分の通りの所は一向に話が進まないし、駅前を綺麗にしたからといってお客さんが増えるどころか、車が停められなくて警察にキップを切られる位が関の山だ。いっその事、マイロードなんかは「三丁目の夕日通り」かなんかにしちゃって、ラーメン博物館みたいにジオラマで古き良き昭和の通りとかにしちゃえば良いのに、と思う。そっちの方がよっぽど面白いですよ、駅前開発の方。

今思うと、親父の代の頃の方が駅前は活気があったと思う。映画館も今や一軒のみだ。聞くと若い子は御殿場で映画を見ないらしい。何でだ?地元にあるから楽じゃん?椅子が固い?映画館なんてそんなもんだ。雰囲気が・・・あの雰囲気が良いんじゃないか?あの独特の雰囲気や湿った匂いが映画を見るんだって気にさせてくれるんだ。映画が終わってひとけのない待合席で映画の感傷にひたりながら吸うタバコがまた良いんじゃないか?沼津や東京なんかの人ごみの狭い中で映画見るくらいなら家でビデオを見るね。デート向きじゃない?映画は一人で見ろっつーんだ!

平日の夜七時の我が通りである。

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商店街に行けばなんでも揃うといった機能はもはや今の駅前では難しいんじゃないか?行政や地主、経済の問題もあるけど、やっぱ自分たち商店街主の責任でもある。いろいろあるのが駅前商店街の魅力だと思うから、俺達個人商店主はもっとがんばらなくちゃいけないんだと思う。そして映画館に限らず、文化ってモノをもっと行政や一般の人達にもバックアップしてもらいたいと思う。健康や運動ばっかが能じゃないぜよ。

子は皆で育てるもの、街は皆で作り上げるもの。

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2008年9月 2日 (火)

ほんのり秋色

暑い暑いと言っていたけど8月が終わって9月が始まったと思ったら、もう御殿場は涼しい!!秋がすぐそこまでやって来てますよォ~。

なんか少しさびしい気分になるけど、秋は実りの季節。きのこや栗、秋ナス、根菜などがおいしくなってきます。合鴨とキノコ、銀杏なんかを炭火で炙って食べるとちょっと幸せになるね。

そんな時はワインがおいしい。こちらはほんのり秋色のロゼ・ダンジュー。

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ジェ・ジェ・モルチェ ロゼ・ダンジュ  グラス500円 ボトル3000円

フランスのロワール地方アンジュ地区で造られる、やや甘口のロゼ(ピンク色)ワインです。口当たりが良いので女性にも気軽に飲んで頂けると思います。

自分は20代前半によくこいつを飲んでました。今はないけどマウント劇場の近くにジャズを流す小粋な飲み屋さんがあって、そこで良く飲んだものです。あまずっぱい、白ワインと赤ワインの中間みたいな味わいが好きでした。当時好きだった子を何回か誘って一緒に飲んだ思い出があります。今回そんな思い入れと共に販売したいと思います。

ロゼを飲みながら何をつまもうか?そうだね、「四種のきのこと貝柱のピザ」なんかいかがでしょう?

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四種のキノコと貝柱のアンチョビソース 1280円

生地はもちろん自家製、シンプルなトマトソースを塗った上にチーズ、貝柱、四種のキノコをのせ、パルメジャーノをサッとひと振りしたあと、オーブンでさっくりと焼き上げます。仕上げに黒コショウと特製のアンチョビとガーリックのソースを一回してテーブルへ。

外側はカリッと、中はしっとりとした食感で、チーズとキノコの旨みと貝柱とアンチョビソースのアクセントが効いてます。ぜひお試しを。

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