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2008年9月 4日 (木)

路地裏の少年

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自分は現在御殿場の駅前で商売をさせてもらってる。親が苦労して買った土地だ。

かれこれ30年近くになるから自分は駅前で育ったと言ってもよい。親が今の場所で寿司や和食、宴会場をやってるのを傍で見てきた。無論手伝わされた。お米を洗ったり、茶碗蒸しを作ったり、魚をおろしたり、板前さんに寿司を習ったりした。その時の経験が今役立っているから有難いもんだ、と思う。

勉強もここでやった。店の二階に仮住まいを作り、隣の間でやってる宴会のどんちゃん騒ぎにうんざりしながら、ひたすら親が仕事が終わって上にあがってくるのを妹と待っていた記憶がある。時折酔ったお客が自分たちがいる部屋の鍵をこじあけようとがガチャガチャやるので、妹は非常に怖がっていた。宴会が終わると片づけを手伝った。寄せ鍋の残りにビールを入れられていて、その匂いがたまらなく嫌いで、今でも寄せ鍋はあまり好きではない。

そんな嫌な体験ばかりでなく、ちゃっかり自分も駅前の猥雑な雰囲気を楽しんでいたと思う。隣にディスコがあった時にはガンガン音漏れがしていたので、「ハローミスターモンキー」や「サタデーナイトフィーバー」「セプテンバー」などで踊ってたし、よく喧嘩もあったので、二階のベランダからそっと覗きこんで周りが収拾にやっきになってるのを高みの見物としゃれこんでいた。近くにはヤオハンやキミサワなどの大型店もまだ健在だったので買い物やゲーセンには事欠かなかった(ただし南小の生徒とよくイザコザがあったが)。駄菓子屋の「大野屋」で買った玩具のピストルでションベン横丁(と言って良いのか?)あたりで「太陽にほえろ」ごっこにハマり、「なんじゃこりゃぁ!」とさんざん叫んでいた。

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通称「ションベン横丁」。小さい店が軒をつらねていて、戦後の雑多な雰囲気を残す貴重な通りである。ここの酒場は昼間からやってる所もあるが、入るには勇気がいる。ここで飲んで初めて御殿場の「酒飲み」になれるぜ。

今でも時折映画の撮影をマウント劇場やションベン横丁あたりでやっているのを見かけることがあり、それが必ずと言っていいほどチンピラが追われているシーンの撮影なので、皆やることは同じなんだな~と笑ってしまう。

映画といえば、当時は御殿場に三軒もの映画館があった事をご存じだろうか?この小さい街で映画館が三軒は凄かった。ひとつは今も健在のマウント劇場、もう一つは現在の串特急のところに中央劇場が、あと一つは望月タバコ店の裏にあったのだ。この望月タバコ店の裏にあった劇場の名前は今出てこないけど、中学生の時に「ナウシカ」を見た思い出がある。なぜかいつも浮浪者が一番手前の席に陣取っていた記憶があるが…。その頃はマウントは洋画、中央は邦画、もう一つはたぶん東宝系アニメだったようで、中央劇場はよく日活のロマンポルノをやっていた。子供心にも非常に魅力があり、あるとき友人と探検のつもりで中央劇場の裏手で遊んでたら、なにやらあえぎ声が聞こえるので階段を上がっていったら映写室の片隅に出てしまった。

上映してたのは「ラブレター」。女優さんは当時プッツン女優してた関根恵子(現 高橋恵子)、監督は高橋判明だった。

はじめて見てしまった。友人は怖くて逃げだしてしまったが、自分は凝視していた。

「コラー!おまえ何やっとるか!」との声に振り向いたら支配人のおっさんがドアの所に突っ立っていて、すごい顔をしていた。「どこの子じゃ?どこから入っただ?」そこのドアからに決まってんじゃん…とは勿論言えず「スミマセンデシタ!」と叫んでオヤジの横をすり抜けて一気に階段を駆け降りた。オヤジはまだ何か言いたそうな顔つきだったが、不満そうにドアをバタン!と閉めた。

ドキドキしすぎて、膝がガクガクして体の震えがとまらなかった。すぐに自分の店に戻ったらバレルと思い、意味もなくあたりをウロウロした。店に戻ると親は何も知らずに一生懸命仕事に精を出していた…

大人になって上京して前述の幻燈社に入ったが、ナント「ラブレター」は幻燈社の前田さんが製作にかかわってた事を知らされた。これには驚いた。幻燈社に入る事は運命だったようだ。

今現在、子供が自分と同じように路地裏で遊んだり、駄菓子屋に親子2代でお世話になったり、近所の洋服屋のおばさんに声をかけてもらったりしてるのを見ると商店街ならではの光景でほほえましく思う。しかしここ20年でずいぶん駅前も変わった。昔はいろいろ個性的な個人経営のお店が多かったが、今ではヤオハンやキミサワも他所に移り、お店をたたむ所も増えた。代わりに大手の居酒屋や、ねーちゃんのいるお店が増えた。金・土の深夜なんかはうっかり歩いていると喧嘩に巻き込まれそうな雰囲気だ。

駄菓子屋の「大野屋」さんが閉店した事は残念だった。駅前開発とかもう親父の代からいろいろ言われているけど自分の通りの所は一向に話が進まないし、駅前を綺麗にしたからといってお客さんが増えるどころか、車が停められなくて警察にキップを切られる位が関の山だ。いっその事、マイロードなんかは「三丁目の夕日通り」かなんかにしちゃって、ラーメン博物館みたいにジオラマで古き良き昭和の通りとかにしちゃえば良いのに、と思う。そっちの方がよっぽど面白いですよ、駅前開発の方。

今思うと、親父の代の頃の方が駅前は活気があったと思う。映画館も今や一軒のみだ。聞くと若い子は御殿場で映画を見ないらしい。何でだ?地元にあるから楽じゃん?椅子が固い?映画館なんてそんなもんだ。雰囲気が・・・あの雰囲気が良いんじゃないか?あの独特の雰囲気や湿った匂いが映画を見るんだって気にさせてくれるんだ。映画が終わってひとけのない待合席で映画の感傷にひたりながら吸うタバコがまた良いんじゃないか?沼津や東京なんかの人ごみの狭い中で映画見るくらいなら家でビデオを見るね。デート向きじゃない?映画は一人で見ろっつーんだ!

平日の夜七時の我が通りである。

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商店街に行けばなんでも揃うといった機能はもはや今の駅前では難しいんじゃないか?行政や地主、経済の問題もあるけど、やっぱ自分たち商店街主の責任でもある。いろいろあるのが駅前商店街の魅力だと思うから、俺達個人商店主はもっとがんばらなくちゃいけないんだと思う。そして映画館に限らず、文化ってモノをもっと行政や一般の人達にもバックアップしてもらいたいと思う。健康や運動ばっかが能じゃないぜよ。

子は皆で育てるもの、街は皆で作り上げるもの。

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