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2010年8月11日 (水)

大石さん 一周忌

店の壁に、去年書いた“MEMENTO MORI” (死を明記せよ)の言葉が残っている。

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友人でもあり、店のスタッフだった大石さんが亡くなった日だ。自殺だった。

あの日の事は今でも忘れられない。やはり暑い日だった。知り合いから一本の電話。

「やっちまったー!大石さん、やっちまった」

最初は事故か何かだと思った。話を聞いている内に事態が大変な事に気づき、すぐさま彼のアパートへ車を回す。警察が見慣れた彼の車をビニールシートで覆い、近寄る自分を制した。自分もそれ以上近寄れなかった。

今日でちょうど一年が経つ。早いと言うべきか、やっと一年経ったのか、自分でも良く分からない。自分とほぼ同い年の彼が自ら命を絶った事にかなりショックで、涙も流したし、棺桶の中の彼の顔が赤みを帯びてて今にも眠りから覚めそうに感じて、「馬鹿やろー!」と怒りもした。

葬儀場では彼の最後の勤務先だったリ・○○○箱根のマネージャーだかに一言意見をしたら、後でかなり大問題に発展しそうになり、知り合いが収拾にやっきになっていた。厨房の奴らがウチに殴りこみに来る、とか言ったらしい。くだらねぇ。馬鹿野郎どもが。来るなら来い。

大石さんとは以前に自分が働いていたアウトレットのイタリアンで知り合った。中途採用で入ってきて、周りに気を使いながら、ペコペコしながら仕事をしていたように思う。そんなに人との付き合いが上手ではなかったし、陽気な方でもなかったから、彼をそんなに知らない人からは結構誤解されていた所があったんじゃないかな?黙々と仕事をこなす人だった。

彼と少しずつ飲む機会が増え、いろいろ話を聞くにつれ、彼は将来、小さくても良いからパスタと珈琲の店をやりたいんだ、という事が分かった。前述のイタリアンを辞め、関東自動車の期間工になり、夜は自分の店を手伝ってくれるようになった。自分と違って真面目で、ウチのさもないレシピでさえ手帳にこまめに書き写し、自分をサポートしてくれた。今までのキッチンのスタッフの中で彼が一番信頼がもてたと思う。その年の忘年会シーズンは過去最多の売り上げを出したのも彼の協力あっての事だったに違いない…。

狭いキッチンに二人してパスタのソースをあおったり、彼がピザを打ち、自分が他のつまみを作る時、楽しかった。そんな時間がいつまでも続いてくれれば良いのにな…と思っていたのだが。

時代のあおりか、トヨタの経営がホンの少し危うくなると、とばっちりは色々な所に波及し、彼の期間工としての延長が急に打ち切りになってしまった。ちょうどその頃だ、秋葉原の無差別殺傷事件があったのは。

俺たちは、時代に翻弄されて、流され続けている。「勝ち組」になれば良いジャン、という者もいる。勝ち・負けで言うならば確かに今の俺らは「負け組」なのかもしれない。でもそんな風に生きたくないし、勝てば良いのか、勝てば?と思う。大石さんは今の日本の構図に巻き込まれ、歯車から弾き飛ばされてしまった。人はそれを「自分が悪い=自己責任」と言ってお終いにしてしまう。そんな世の中にしちまったのはダレなんだ?

はじき出されてしまった大石さんは知り合いの紹介で箱根のホテルのキッチンに入る事が出来た。当初、大石さんはすごく喜んでいた。そして、「もう何があっても、自分からは辞めませんよ」と得意げに話した。自分は(大丈夫か?)と感じた。「ホテルのキッチンはツライっすよ」と、言っておいたのだけど。

勤めはじめてわずか1週間後に大石さんがウチに来て、弱音を吐いた。なんでも直属の上司にかなりやられているらしかった。包丁の柄でたたかれたとか、足蹴にされたとか、その年になってこんな事もできねーのか、テメェ。とか、辞めちまえ!とか、聞こえによってはイジメとも、教育ともとれない内容だった。

「大石さん、そういう所のコックは外の世界を知らなすぎるか、知りすぎて人生嫌になっちゃってる奴が多いから仕方ないですよ。どっちにしろ時代遅れの馬鹿野郎なんです。諦めてもうちょっと我慢したら?」

「シェフの言うことと、その人の言う事が違くて、シェフの言うとおりにしたら凄い怒られるんですよ、どうしたら良いんですかね?」

「・・・・・・・・・(ノ∀`) アチャー」

こういう話は良く聞く。上が言う事と、現場の人間が言う事が違う。これは指揮系統が上手くいってないからだ。上の人間が悪い。

大石さんにも問題があって、言われてムカついたならぶち切れして包丁振り回すくらいが良いのだが、そんな事彼に出来っこないのは分かっていた。

一時話し合って、もう少し頑張ってみると言い、好きだったヒューガルデンホワイトを一杯飲みほして、大石さんは帰っていった。

それが最後だった。

自分はあの時「良いよ、もう辞めちゃって楽になりな~」と何故言わなかったのだろうか?

大石さんは最初の給料も待たずに死んでしまった。

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裾野の山間にある仙年寺。のどかで、綺麗な山寺だ。ここに大石さんは眠っている。

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スタッフと順子を連れて出かけた。

今の時期、ちょうどお盆の時期だ。お墓では大石さんのご両親が待っていてくれた。お花を供え、線香をあげてから、一人ずつ大石さんに語りかけた。

お母さんと大石さんの話をしていて、ヒョイっと親父さんの顔を見上げたら、寡黙な親父さんがひとり涙を流していた。

この1年間、大石さんの事をなにかにつけて思いだしたり、考えたりしていた。ずっと頭の片隅に大石さんが居た。夜、仕事を終えて店でブログを書いている時なんかは、彼の気配を感じたΣ( ゜Д゜)ハッ!ような事もあった。1年間待って、今回彼の事を書くことにした。

彼の死について考えてみると、親を残して自ら命を絶った彼の責任は重い。仕事を続けられなかった意思の弱さもあるだろう。

でも自分は自殺なんか怖くてできやしない。生にしがみついて、もがき苦しみながら生きていくしかないのだ。そこの一線をポン、と超えてしまった大石さんの覚悟って何だったのだろう?その覚悟を作りだしてしまった周りの人間関係や今の世の中にも責任はある、と思う。

また、自分たちの幸せを追い求めるのに夢中で、一緒に働いていた同士の墓参りすら来ない奴もいる。今の自分たちが生きていられるのは周りの人間たちとの密接な関係があってこそ、のはずなのに。個人がこれだから企業もそうなので目もあてられない。

自分にも責任があるのだ。自分の店がより良い環境になっていれば、彼をひどい職場に行かせず、好待遇で働いてもらう事だって出来たはずなのだ!彼の作るパスタは絶品だったし、作っている時の彼は幸せそうだった。

今となっては、彼の分まで美味しいものを作って、皆に喜んでもらうしかないよな。

もっと旨いもん食って、大石さんが「チキショー、死ななきゃ良かった」ってくやしがってもらう事にしよう。

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いつか会う日まで。

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コメント

お葬式の日の空を今もハッキリ覚えています。空いっぱいに広がった雲は雨あがりのグレーと始まり出した夕焼けの薄いピンクに染められ、その雲間に大きく太く真っ直ぐで真っ白な光が何本も天から差していた。それが凄く神秘的で、初めて空見てるだけで泣きました。月並みだけどあの光の道を大石さんは登っていったんだと信じています。今でもフッと大石さんが来る気がする。私は大石さんには成れないけど、私なりの役を真摯にこなして、最高売上を更新させてやる!いつかまた一緒に熱々で働きたいです。大石さんの昔懐かしナポリタンも食べたいです☆直接言えなかったけど、沢山々々ありがとうございました。

投稿: ますみ | 2010年8月12日 (木) 03時51分

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