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2010年12月 6日 (月)

笑いながら泣きやがれ

しばらく見ない内に、富士山に雪が積もっていた。ありゃま!

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下ばっか向いてないで、たまには上を向いて歩かなきゃナ。

そして先日は高尾祭だった。この祭りが終ると御殿場は本格的な冬に入る。

夜仕事が終わってから甥の「真ん中」と行ってみた。申の神様か商売の神様の祭りだと聞いていたので、最近5~6年行ってないな・・・とやや反省していた。

その昔は御殿場の冬の祭りの代表格で、祖母や祖父によく連れられて来たもんだが、狭い参道を人がギュウギュウと詰まり、小さい自分はどこかのオバサンのでかい尻に埋まってしまい、息が出来なくて初めて祭りで死にそうなった事を思い出す。その後「尻フェチ」になったのは言うまでもない・・・

高1の頃には、いっぱしの不良ぶって屋台の焼きハマグリと枡酒を売る店に潜り込み、他の親父たちと混じってドキドキしながら酒をすすった。今思えばなぜ店の店主や、他のオヤジに怒られなかったのが不思議だ。たぶん祭りの時くらいは無礼講、みたいな感じだったのだろう。良い時代だったんだ。焼きたてのハマグリの香ばしさと、木の香りがプ~ンと漂う酒の相性が抜群だった。

そんなハマグリ屋台もいつか消えてしまって久しい。今回も店が終ってから行ったせいか、閑散としていて、テキヤも片付けに入っていた。昔は明けがたまで営業していたと思ったんだけどな~。「真ん中」は酒が飲めずにがっかりしていた。コンビニで缶ビールを買ってやったら喜んで尻尾をふった。

高尾祭の恒例行事といえば他にもあって、祭りに行った帰りには近くの親戚の家に必ず寄って、ご馳走になっていた。母親の兄の家で、建設業を営んでいたせいか、高尾祭の日には必ず熊手や大達磨を買い込んでTV台の上にどっしりと置いていた。親戚や職人さんたちが大勢集まって叔母特製のモツ煮や漬物をつまみにワイワイと飲っていたのを思い出す。

この家のモツ煮は今まで食べたモツ煮の最高峰で、叔母に幾度となくレシピを聞き出そうとしたのだけれども、いつもやんわりと話をはぐらかせてしまっていた。要はとにかく丁寧に、かつ徹底的にモツの下処理をするのだそうだ。コツはそのくらいだったのだろから、叔母は教えるのが恥ずかしかったのかもしれない。でも多分、そこの所がモツにとっては最重要なんだろう。

大勢の職人さんに囲まれて上座に社長である叔父がどっかりと座り、あれこれと指図していた。自分もテーブルの端に座ってモツ煮やら刺身やらをちゃっかり食べながら大人の会話に混じって楽しんでいた。

今でも大工さんやら、映画の技術さんやら、その他の無愛想ないわゆる「職人さん」に自分はウケが良い、というか結構すぐ仲良しになれるのには、この時の「修行」が案外役に立っているのかもしれない。社長の叔父も「頑固一徹」を絵に描いたような人で、すぐ怒るし、不器用で融通が効かなく、子供への愛情表現もヘタクソな昭和ひとケタ?世代の人間だが、その心の内は本当に優しいオッチャンなのだ。自分もこのおっちゃんやら祖父やらの血を僅かでもひいている所があるので、変に職人みたいにこだわったり、そのせいか知らんが商売下手だったり、顔が無愛想なので他人に誤解を受けたりする。損な血筋なんだ。本当は俺めっちゃ優しいんですけど・・・( ´_ゝ`)フーン

閑話休題(どうでもよろしい)。

やがて大人の会話に混じるのも飽き、腹も膨れると向かいの部屋に行く。そこは長男のシンゴちゃんの部屋だった。彼はウチの出稼ぎスタッフ兼ミクシイの管理人でもあるサオリンの叔父だ。

自分より8つ年上のシンゴちゃんは自分にはいわば大きいアニキみたいな存在で、自分の遥か彼方を進んでいる憧れの存在だった。部屋に一歩入ると、そこは70年代のロックの聖地みたいに見えた。壁にはキッス、ジミヘン、ビートルズ、ディープパープル、T-レックス、ジャニス、ディランなどのポスターやレコードがずらり、エレキギターやフォークギターが常時2~3本、でかいドラムセットがで~ん!と置いてあったり、どう弾くのか分からん民族楽器があったりと、まさに御殿場のウッドストックかアップルレコードスタジオだったのだ。

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部屋に入るとシンゴちゃんはいつも「オウ!」と気さくに声をかけてくれて、いつも何かしらのレコードをかけてくれた。どこが良いのかさっぱり分からない音楽もあったけど、シンゴちゃんは「これが良いんだ」とばかりにベッドに横たわって細い目を更に細くして聞き入っていた。そしてギターを手にとって弾き方を教えてくれた。チューニングの仕方や、3コードのロックンロールを最初に教えてくれたのがシンゴちゃんだった。自分はこの世代の人たちからロックを教わった。そしてそれは今、自分の甥や姪、子供たちに引き継がれている。

やがて自分も大きくなり、今の店を建てる時に、建設業であるシンゴちゃんや叔父に手伝ってもらった。店内のレンガ貼りや階段、左官屋が嫌がってこっちに丸投げした手塗りの漆喰壁もシンゴちゃんと自分で何日もかかって仕上げた。いわばシンゴちゃんとの合作だったわけだ。

Img_0060_3 そんなシンゴちゃんが急に亡くなってしまった。

つい1週間前まで実家の車庫を直してもらっていたのに。

心筋梗塞だった。

お見舞いに行く途中の車で訃報を聞いた。

病院に行くと目を泣きはらした彼の子供たちとすれ違った。

自分は何のなぐさめの言葉もかけてあげることが出来なかった。

奥さんに「顔をみてやってください」と言われ、シンゴちゃんの顔をのぞいた。

まるで自分だった。

幽体離脱でもしたのか、と思うほど、それはまるで自分の死に顔だった。

最後の最後までシンゴちゃんは自分にメッセージを残してくれたようだった。

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青く澄み切ったた日曜の昼に、シンゴちゃんは空に旅立った。

通夜では彼の好きだったビートルズの曲が流れたらしい。

叔父に「シンゴちゃん、残念だったね」と声をかけると、今まで見たこともない位に小さくなってしまった叔父は目をしょぼつかせて「死んじまったモンはしょうがないよな」と小さく頷いた。

自分は泣かなかった。しかしもう少しで泣きそうだった。

一家の大黒柱を失った家族の悲しみといったら、どれだけの言葉を探しても見つからないのだ。

葬式には親戚や友人が多く集まった。僧侶はモンゴルの「のど笛」のような素晴らしい声でお経を読んだ。まさに仏陀の代弁者のようだった。

親戚連中は「こんな時にしか会えないのもなんだけど」と言いながら、お互いの近況報告をしあっていた。結婚した者、子供が生まれた者、足腰がだいぶ弱まった者、引越しした者、進学した者、卒業する者、成功した者、しない者、さまざまである。

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死の悲しみにくれる一方、生の喜びも分かち合う。「お葬式」とは案外そんなものなのかもしれない。泣きながら笑うんだ。

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そしてそれは次の世代へと引き継がれていくのだ。

姪のサオパニのブログも見てやってください。

彼女から見たシンゴちゃんへの愛が綴られています。

http://blog.livedoor.jp/saopanic/

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