熱々の仲間たち

2012年7月24日 (火)

闘莉王 母の愛は強し

以前 元日本代表で、現在名古屋グランパスの闘莉王が店に来てくれた事がある。

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店を気に入ってくれ、自分とも気さくに話してくれて一緒に飲んだ。サムも飛び入り参加した。

美しいブラジリアンの彼女と来ていたし、宿はあのマーズガーデンウッド御殿場だったので、早く帰って部屋でゆっくりしてもらいたかったのだけど、彼女や宿そっちのけでサッカーの話は勿論の事、尾崎豊やブラジルの歌、彼の祖父が広島からブラジルに渡ったので、最初のチームをサンフレッチェ広島にした経緯、とても父親を尊敬している事、日本人としての彼の心意気や大和魂などの話題で盛り上がり、焼酎を飲むわ飲むわで、気づいたら三時過ぎ。

「もうそろそろ終わりにしましょう」とこっちが言って、ようやく腰を上げたくらいだった。


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息子の太郎はサインボールをしてもらう為に閉店時間の12時過ぎまで寝ないで待っていた。別にそれまでサッカーファンでもなんでもなかったのに。


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闘莉王は子供が好きらしく、気軽にサインをしてくれ、太郎にも「サッカーやるの?どこのチームが好き?」などと聞いてくれていた。

太郎はその日、サインしてもらったサッカーボールを抱いて寝た。
それ以来、そのサッカーボールは我が家の宝物になっている。
去年、清水のアウスタで清水エスパルスvs名古屋グランパスの試合を見に行った。

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太郎は地元サッカーチームのエスパルスのユニフォームにスタジアムで買った名古屋グランパスの闘莉王のマフラーをする、といったコウモリ野郎的な応援をしたが、試合はまさかの闘莉王が累積でピッチに出れず、清水エスパルスが二点を入れて勝った。
闘莉王はベンチから自分達チームの不甲斐なさに呆れて怒っているのが見えた。

それから1年が過ぎようとしている。
太郎は地元のサッカーチームで毎週土曜日に練習に行く他、時折近所の先輩小学生や中学生達に混じってボールを追い回している。決して上手ではなく、むしろ下手な方だが、サッカーボールを蹴っている時の太郎は嬉しそうだ。

そんな折、今度は闘莉王の母上が来店してくれた。

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右奥に居らっしゃるのが闘莉王の母上。その隣の女性は元ウチのスタッフで、現在名古屋グランパスで通訳兼外国人担当スタッフをしているミホ。彼女が闘莉王や母上を連れてきてくれた功労者である。
その隣のハゲはトゥーリオ、では決してなく、ピカーリオ君だ。

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闘莉王がサインしてくれたボールを片手に、母上は闘莉王の子供時代の話をしてくれた。
敬虔なクリスチャンであること、16歳だった彼がたった独りで日本へ渡った時の母上の心情、その後の成功、休暇でブラジルに帰郷している彼を一目見ようと地元の子供達が朝から家のも扉の前で待っていることなど。
また「俺は結婚しない」と言っていた闘莉王だったが、母上は「いつか彼に本当にピッタリの女性が現れて幸せな家庭を築いて欲しい」とも話してくれた。

それはスーパースターの子を持つ母親ではなく、ごく一般の母親の誰もが想う息子への愛だった。

ウチの嫁さんも何故か息子の太郎には甘い。本人はあまり意識してないようだが、つい先日も太郎が風邪で学校を休んだ際にも、病院の帰りにwiiの釣りゲームを何の理由もなく買ってあげていた。自分もそのうち買ってあげるつもりでいたのだが、勉強にしろ、サッカーにしろ、普段の行いにしろ、何かしら太郎が進歩したご褒美に買ってあげようと考えていた矢先だったので、嫁を叱ったら、普段ならその何十倍で仕返しをしてくる嫁だが、この時は何も言わずに「へへへ」と笑っているだけだった。

かくいう自分の母親も自分には甘い、らしく、親父や姉がブーブー文句を言っていたのを思い出す。
勝てないね~。母親の息子への愛情には。

今年の夏はぜひとも名古屋に行ってトゥーリオの試合を見たいもんだ。
ピッチに立つ彼の勇姿を太郎の目に焼き付けてあげたい。

そんなトゥーリオの素敵な言葉で締めくくろう。


スタンドを見ていると、涙がこみ上げてくることがある。

僕ができることはサッカーしかない。日本国籍を取って、日の丸を付けて、プレーをする。日本のためにサッカーをして、お世話になった人たちに恩返しをしたい。

— 闘莉王

やっぱ、ワールドカップ、トゥーリオ必要じゃね?
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2012年3月 9日 (金)

友人セリセリ

仕入れに大仁の方まで行った帰りに、近くの友人を訪ねてみた。


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マクロビオティックのトゥッティカフェだ。
そこの店の旦那が友人だ。

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ここを訪れるのは約4年ぶり。
ちょっと肌寒い日ではあったけど、相変わらずノンビリとした風景が広がっていた。駐車場や畑も広くなったみたいだ。

ここの住人も倍に増えていた。
お子さんが生まれていたんだね~。ヾ(@⌒ー⌒@)ノ

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子供が大きくなるにつれて色々大変な事もあるけど、
お互いに切磋琢磨して頑張って行きましょうや!

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2010年9月13日 (月)

オラ東京さ行くだ

休日を利用して、万年バカンスの達也を引き連れ、田舎モン達は東京に行く事にした。
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目的はやはり、パンだ。
東京の最先端を行くパン屋にたまには行ってみよう。

今日の行き先は、
①シニフィアン•シニフィエ
②メゾンカイザー
③ヴィロン
の三軒。場所的にも渋谷周辺だから回れる筈だ。

後は昼飯にアイリッシュパブか、スペインか、ハンバーグでも食べられたら良いな、と思っていた。

朝早く御殿場を出て、渋谷に着いたのが10時過ぎ。一番近くのシニフィアン~ に向かった。
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まだやってなかった。11時からだそうだ。いきなり鼻っ柱を折られたが、気を取り直してメゾンカイザーに向かう。

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こっちはもう既に開店していた。やはり、と言うべきか?商売上手の木村屋だ。

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旨そうなパンが並んでますな~。
ここで感心したのが、達也が手に入れた菓子パンを、買った後に新しいのが焼き上がったので売り子さんがわざわざ替えてくれた事。普通しないよな~。袋にもう既に入っていたやつをだよ。じゃあ前のはどうするのか少し気になったけどさ。少しでも焼きたてを提供しようとする店側の姿勢なのだろうか?

次に先程のシニフィアン~へ。
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ここはもうパンのブティックですな。
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パンが整然と並んでて、手にとるのもはばかれる。実際、売り子に頼んでパンを取ってもらうスタイルだ。ワインやチーズも並んでいて、そこそこの値段で売られている。

売り子さんは決して愛想が悪い訳ではないのだけれども、いわゆるワタクシちゃんと仕事してます風な、ややタカビーな接客。高級ブティックの「ウチの商品に気軽に触れないて」的な態度が少し感じられた所が残念だった。
実はここの店が一番行きたかった店なので、かなりの量購入した。

腹が減ったので渋谷に出てプラプラする。

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スペイン料理の「サン イシドロ」があった。ここも行ってみたい店のひとつだ。

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2010年8月11日 (水)

大石さん 一周忌

店の壁に、去年書いた“MEMENTO MORI” (死を明記せよ)の言葉が残っている。

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友人でもあり、店のスタッフだった大石さんが亡くなった日だ。自殺だった。

あの日の事は今でも忘れられない。やはり暑い日だった。知り合いから一本の電話。

「やっちまったー!大石さん、やっちまった」

最初は事故か何かだと思った。話を聞いている内に事態が大変な事に気づき、すぐさま彼のアパートへ車を回す。警察が見慣れた彼の車をビニールシートで覆い、近寄る自分を制した。自分もそれ以上近寄れなかった。

今日でちょうど一年が経つ。早いと言うべきか、やっと一年経ったのか、自分でも良く分からない。自分とほぼ同い年の彼が自ら命を絶った事にかなりショックで、涙も流したし、棺桶の中の彼の顔が赤みを帯びてて今にも眠りから覚めそうに感じて、「馬鹿やろー!」と怒りもした。

葬儀場では彼の最後の勤務先だったリ・○○○箱根のマネージャーだかに一言意見をしたら、後でかなり大問題に発展しそうになり、知り合いが収拾にやっきになっていた。厨房の奴らがウチに殴りこみに来る、とか言ったらしい。くだらねぇ。馬鹿野郎どもが。来るなら来い。

大石さんとは以前に自分が働いていたアウトレットのイタリアンで知り合った。中途採用で入ってきて、周りに気を使いながら、ペコペコしながら仕事をしていたように思う。そんなに人との付き合いが上手ではなかったし、陽気な方でもなかったから、彼をそんなに知らない人からは結構誤解されていた所があったんじゃないかな?黙々と仕事をこなす人だった。

彼と少しずつ飲む機会が増え、いろいろ話を聞くにつれ、彼は将来、小さくても良いからパスタと珈琲の店をやりたいんだ、という事が分かった。前述のイタリアンを辞め、関東自動車の期間工になり、夜は自分の店を手伝ってくれるようになった。自分と違って真面目で、ウチのさもないレシピでさえ手帳にこまめに書き写し、自分をサポートしてくれた。今までのキッチンのスタッフの中で彼が一番信頼がもてたと思う。その年の忘年会シーズンは過去最多の売り上げを出したのも彼の協力あっての事だったに違いない…。

狭いキッチンに二人してパスタのソースをあおったり、彼がピザを打ち、自分が他のつまみを作る時、楽しかった。そんな時間がいつまでも続いてくれれば良いのにな…と思っていたのだが。

時代のあおりか、トヨタの経営がホンの少し危うくなると、とばっちりは色々な所に波及し、彼の期間工としての延長が急に打ち切りになってしまった。ちょうどその頃だ、秋葉原の無差別殺傷事件があったのは。

俺たちは、時代に翻弄されて、流され続けている。「勝ち組」になれば良いジャン、という者もいる。勝ち・負けで言うならば確かに今の俺らは「負け組」なのかもしれない。でもそんな風に生きたくないし、勝てば良いのか、勝てば?と思う。大石さんは今の日本の構図に巻き込まれ、歯車から弾き飛ばされてしまった。人はそれを「自分が悪い=自己責任」と言ってお終いにしてしまう。そんな世の中にしちまったのはダレなんだ?

はじき出されてしまった大石さんは知り合いの紹介で箱根のホテルのキッチンに入る事が出来た。当初、大石さんはすごく喜んでいた。そして、「もう何があっても、自分からは辞めませんよ」と得意げに話した。自分は(大丈夫か?)と感じた。「ホテルのキッチンはツライっすよ」と、言っておいたのだけど。

勤めはじめてわずか1週間後に大石さんがウチに来て、弱音を吐いた。なんでも直属の上司にかなりやられているらしかった。包丁の柄でたたかれたとか、足蹴にされたとか、その年になってこんな事もできねーのか、テメェ。とか、辞めちまえ!とか、聞こえによってはイジメとも、教育ともとれない内容だった。

「大石さん、そういう所のコックは外の世界を知らなすぎるか、知りすぎて人生嫌になっちゃってる奴が多いから仕方ないですよ。どっちにしろ時代遅れの馬鹿野郎なんです。諦めてもうちょっと我慢したら?」

「シェフの言うことと、その人の言う事が違くて、シェフの言うとおりにしたら凄い怒られるんですよ、どうしたら良いんですかね?」

「・・・・・・・・・(ノ∀`) アチャー」

こういう話は良く聞く。上が言う事と、現場の人間が言う事が違う。これは指揮系統が上手くいってないからだ。上の人間が悪い。

大石さんにも問題があって、言われてムカついたならぶち切れして包丁振り回すくらいが良いのだが、そんな事彼に出来っこないのは分かっていた。

一時話し合って、もう少し頑張ってみると言い、好きだったヒューガルデンホワイトを一杯飲みほして、大石さんは帰っていった。

それが最後だった。

自分はあの時「良いよ、もう辞めちゃって楽になりな~」と何故言わなかったのだろうか?

大石さんは最初の給料も待たずに死んでしまった。

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裾野の山間にある仙年寺。のどかで、綺麗な山寺だ。ここに大石さんは眠っている。

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スタッフと順子を連れて出かけた。

今の時期、ちょうどお盆の時期だ。お墓では大石さんのご両親が待っていてくれた。お花を供え、線香をあげてから、一人ずつ大石さんに語りかけた。

お母さんと大石さんの話をしていて、ヒョイっと親父さんの顔を見上げたら、寡黙な親父さんがひとり涙を流していた。

この1年間、大石さんの事をなにかにつけて思いだしたり、考えたりしていた。ずっと頭の片隅に大石さんが居た。夜、仕事を終えて店でブログを書いている時なんかは、彼の気配を感じたΣ( ゜Д゜)ハッ!ような事もあった。1年間待って、今回彼の事を書くことにした。

彼の死について考えてみると、親を残して自ら命を絶った彼の責任は重い。仕事を続けられなかった意思の弱さもあるだろう。

でも自分は自殺なんか怖くてできやしない。生にしがみついて、もがき苦しみながら生きていくしかないのだ。そこの一線をポン、と超えてしまった大石さんの覚悟って何だったのだろう?その覚悟を作りだしてしまった周りの人間関係や今の世の中にも責任はある、と思う。

また、自分たちの幸せを追い求めるのに夢中で、一緒に働いていた同士の墓参りすら来ない奴もいる。今の自分たちが生きていられるのは周りの人間たちとの密接な関係があってこそ、のはずなのに。個人がこれだから企業もそうなので目もあてられない。

自分にも責任があるのだ。自分の店がより良い環境になっていれば、彼をひどい職場に行かせず、好待遇で働いてもらう事だって出来たはずなのだ!彼の作るパスタは絶品だったし、作っている時の彼は幸せそうだった。

今となっては、彼の分まで美味しいものを作って、皆に喜んでもらうしかないよな。

もっと旨いもん食って、大石さんが「チキショー、死ななきゃ良かった」ってくやしがってもらう事にしよう。

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いつか会う日まで。

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2010年3月25日 (木)

変わっていくもの、変わらぬもの

去年の熱々でのクリスマスパーティの写真などを、今さらながらアップしたいと思います。

酒好き、話好きが集まってグダグダになりました…

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この日のメンバーは勝亦看板系列、アウトレット店長経由、PHDの村長グループ、御殿場音楽楽団、そして熱々の連中でした。フードコースは会費制で、たしかドリンク半額でやったような気がします・・・赤字でしたわい・・・(;´д`)トホホ…

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ウチの嫁もちゃっかり飲んでました… 仕事しろ このー!

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見よ!この立派な禿げ頭を!50オヤジの哀愁が漂ってますぅぅぅ。

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←これについては、どうコメントしたら良いか…

楽しそうで良いですね(^-^;

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ウチのスタッフ(一部)。男の方は私の甥っ子(21)です。全国行脚の旅から戻ってきて、今はウチで低価格で修業中。彼女随時募集中です。

長年店をやってると仲間も次第に増えては消え、そして増えていくものです。また新たな出会いと別れがやってきます。そんな仲間たちから「熱々はいつまでも変わらないネ」と言われる事が良いんだか、悪いんだか…?

まぁ、でも仲間がいるって事は良いよな。それも年代の違う仲間がいるって事は。

来月は4日にワインの試飲会を予定してます。今回は少人数。自分もじっくり飲んでみたいと思っているから。今回もまた、新たな仲間がもう一人増えそうです。

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2009年6月 5日 (金)

アメリカの友人

アンディ(34)がコロラドから来日した。

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彼は8~9年前に英会話の先生としてやってきて、ウチに度々来るようになった。一緒に波乗りに行ったり、深夜のビリヤードなんかで仲良くなった。御殿場に来るずっと前は交換留学生かなにかで京都にも滞在していたらしい。日本贔屓というか、日本オタクな奴なんだ。ちなみに日本に居たときよりか、よっぽど日本語が上手になって帰ってきたので今回は殆ど日本語で会話が成り立った。スゲェw(゚o゚)w メールも日本語だったし…

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映画が好きで(つーか、アメリカ人は皆映画好き)、その頃のアンディの一番のお気に入りは「マルコビッチの穴」だった。

その次は「SIDEWAYS」だった。 やっぱり変なアメリカ人なのである(でも自分も両方好きなんだけどね)。

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英語圏から来て日本で英語の教師をやっている事は、別段すごいことでもなんでもない、と当時は思っていた。だって母国語しゃべってりゃ良いんジャン! そして馬鹿な日本人が大金はたいて一生懸命英語を習い、あげくの果てにはナンパ教師に手籠にされるのがオチ、という例を何度も目撃してきた(幾分自分もその馬鹿の一人)。だから一時は外国人が嫌いで、ナンパ教師と大ゲンカをした事もあったなぁ。

自国、日本の事もロクに知らないような人間が英語がちょっと話せるからと言って大きな顔をしている日本の風習にも腹がたった。「これからはグローバルな時代。今や世界の80パーセントは英語圏です」的なノリで生徒を集める英会話教室のやり口には我慢がならなかったのだ。インターナショナルなどと言うが、ナショナル(愛国的)でない人間がインターナショナルなんかになれるか!

ちょうどその頃911があって、戦争が起ろうって時にイギリス人とアメリカ人と3人で議論したことがあったが、アメリカのイラク出兵に少しは懐疑的な英国人に対し、アメリカ人は「でもやっぱりサダム・フセインは悪=イーブル」ときっぱりと言い切って周囲をあぜんとさせていた事を思い出す。

その後何年か経って、ブッシュが靴を投げつけられる映像を見て大いに溜飲が下がった自分ではあったんだけど。

そんないきさつもあり、またアンディが今で言う所の草食系だったものだから、ちょっとナヨナヨした所が、ある意味日本人ぽい所もあったので、お構いなしに「お前のこういう所はダメだ」とか「お前はよわっちいな~」とかガンガン言っていた。「僕ベジタリアンだから」と言ってリンゴをかじっているアンディを無理やり波乗りに連れていって危うく溺れかけさせたりもした。ごめんな、アンディ。

現在、アンディはコロラドの大学院に行って数学の研究をしているそうだ。なんでも数学で地球温暖化をストップさせるらしい。出来るのか?(・_・)エッ....?あと2~3年するとプロフェッサー(教授)になるそうだ。えらい出世したもんだ。コロラドというとマイクロビールが盛んな所だ。ロッキー山脈の清流が美味しいビールを醸すのだ。ということで、当然土産は地ビールとあいなった。

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左からWOOD CHUCKのシードル、SUNDANCEのアンバーエール、ODELL BREWINGの90シリング、Full Sailのアンバーエール。アンディはアンバー好きらしい。今現在シードルと90シリングを飲んだが、どちらも絶品ですばらしい味わいだ。皆に飲ませられなくて残念だ。1ケースずつ送ってくれーい、アンディ。

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アンディの優しい性格はすぐ子供にも伝わり、アンディにまとわりついて離れない。太郎は恐竜の本を自慢げに見せる。

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次の日、太郎とメイの登園にアンディも加わる。

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見慣れた風景なのに外国人が一人混ざっただけで、どこか異国の香りがするのだ… 

Dscf4224_3 Dscf4226_2  なんか俺だけ除け者みたい… ヤッテラレンワ…ヽ(○´3`)ノ フッ

保育園の先生に「彼が太郎とメイの新しいお父さんです」と紹介してから、昼飯を食いにアンディが昔よく通っていたお蕎麦屋さんに行く。その蕎麦屋は移転していた。

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前にB-1ビルの地下にあったつるつる屋さんが移転して名前もあらたに「 草季庵」として、臼挽きの蕎麦屋として繁盛していた。

のどかな田園と林から吹き抜ける爽やかな風がさらに美味しさを倍増しそうな雰囲気のある場所だ。

草季庵→ http://www2.ocn.ne.jp/~soukian/  ただし看板の字は“草”とは読めん!

行ったら席が空いているのに20分待ちと言われ、アンディがいなけりゃ速攻まわれ右する所だったが、しばし初夏の風と一緒に戯れる。

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毎回思うけど、うどんに比べて蕎麦はなんて高いのだろう… 手間暇かかるのは分かるけど…しかも量も少ないな~。場所代が入っているのかしらん?そう言うと「粋じゃねぇ!」と怒られるかも・・・(*_ _)人ゴメンナサイ

ここの蕎麦屋さんが昔つるつる屋だった頃は自分は高校生で学校帰りによく通っていた。ここの店主もこつこつと何十年とかけて店を成長させ、自分の腕も磨き、今回このような素敵な場所で店を開いて繁盛している。自分もこういう風にステップアップしていきたいと思った。

忙しい所を無理言ってアンディと店主の再会を果たして頂いた。ありがとうございます。

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その後、七五三の撮影の為、沼津へ。嫁さんの実家に寄ってお茶を頂く。

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クウにお茶を点ててもらうアンディ。さてそのお味はどうだったのだろうか?

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ウチで二泊してアンディは次の滞在先、京都へ向かった。

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つくづく思うのはアメリカ人やヨーロッパ人は行動範囲が広い。そして開拓精神?に溢れている。こうと思ったら即行動し、あまりくよくよ悩まない。そういう所は見習いたいと思う。アンディは日本が好きで、日本に来たいがために自分のキャリアなど考えずに手段として英会話教師の仕事を選び、そして今は全く違う仕事をしている。そして気の向くまま、簡単に海を越えて日本に遊びに来てしまう。屈託がない。気楽なもんだ。自分だったら、「俺はこの先どういう風になってしまうんだろう」とビクビクしてしまうだろう。

それは島国根性の自分と、大陸的考えのアンディの差、なのかもしれない。

「なるようになるのさ、もっと気楽にいこうぜ」とアンディに言われたような気がした。

自分もまたいつかアメリカに行ってみたいと思う。コロラドの醸造所を回ってみたい、と思う。皆も一度はあの広大な土地を踏んでみると良い。そこの土地の人間とビールを酌み交わすのも一興だ。そうすれば今の日本の閉塞感が少しは突き破れるんじゃないか?そのための手段として英語を勉強するのは良いんじゃないかな?

INTO THE WILD !! でも死んだらあかんで!

いつかアンディのコロラドリポートを掲載しようと思ってます。

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2009年5月26日 (火)

夫婦善哉

人は何故 結婚するのだろう?

男と女が出会い、恋に落ち、数々の試練を乗り越えて、周囲の人たちに祝福され、社会的に夫婦として認められる…それが結婚の定義なんだろうか?

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小雨の降る日曜日の午後、熱々の元スタッフでもあった“ナベちゃん”がめでたくゴールインした。彼とはもう5年の付き合いになるだろうか?サムから紹介されてウチに来たのだが、今までのウチにはいないタイプの物静かな文学青年といった第一印象だったっけ。

彼の交友範囲は広く、ウチに来たお客さんのほとんどがナベちゃんの知り合いで埋まった日も少なくなかった。彼から日本の事について色々教わり、目から鱗状態になった事もしばしば。一緒に靖国にも行ったなぁ。お互い吸収しあった仲だと思う。

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舞台は芦ノ湖湖畔に立つ箱根ホテル。堂々とした立派な建物だ。

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披露宴会場からすぐの所に湖に面してバルコニーがあり、広々として気持が良い。この天気も神秘的な感じで悪くない。イギリスの湖畔のような雰囲気だ。

Dscf4138 中に入るとランチビュッフェをやっていた。いくらかは見てこなかったのが残念!美味しそうな料理が並んでいて空きっ腹にこたえる。

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ナベちゃんと奥さまのスミエさん。奥さんは10才年下だそうだ。このスケベ!

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先ほどのバルコニーで親族一同の写真撮影。新婦の父上が居なくて関係者が必死こいて探していた。父上もウチによく来てくださるお客さんだ。

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親族皆ジョークが分かるというか、世相?を反映して赤ちゃん一人を除いて全員マスク姿で撮影。面白いの~(*^ー゚)bグッジョブ!! 誰のアイデア?

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おごそかに披露宴は始まり、乾杯用の樽酒を「ヨイショー」の掛け声であける。

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さぁ祝宴の始まりだ!スパークリングもなみなみと注がれたぞ。

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久々のフレンチコースだ。え~と、端から使うんだっけな~。この箸は前菜用か?若干とまどいながらも気持のよい緊張感に包まれながら前菜を待つ。

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鮪の冷製仕立てと富士屋ホテル伝統の金箔とタピオカ入りコンソメスープ。久々にしっかりとしたコンソメを飲む。少し獣臭がキツかったけど。

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入口に招待客のウエルカムボード?みたいのがあって、自分のも紹介してくれていた。こういうのを見ると仲間意識が湧くよな~ Thanks!

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毎度おなじみ?のキャンドルサービスが始まった。

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自分の披露宴の時は和食の宴会方式だったので、キャンドルサービスは出来なかったけど、こうして改めて見るとほのぼのとした雰囲気で良いもんだな、と思った。

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人生の至福の一瞬_。

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親バカなので自分の娘がいつか結婚してしまう事をついつい考えてしまう。その時自分は堂々としていられるだろうか?どんな男が娘をかっさらってしまうのだろか?ナベちゃんだったら許すけど、サムみたいじゃいやだな~。まぁサムも良い奴だけどサ。最近のナヨナヨ系の人生ナメてて、そのくせ俺は女にはモテルんだみたいな奴が来たらたたっ殺してやるぜ!

そうは言っても、いつかはこのような場所で自分は黙って娘を見送ることしかできないのだ。

だから男の役割と責任は重大なのだよ。一人の女を幸せにしてやらなきゃいかんのだ。離婚なんかしちゃいかんのよ。一人の女で手一杯なはずなのに女遊びしてる場合か!他にもっとしなきゃいかん事がいっぱいあるだろう!

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最後、ナベちゃんは立派な返礼の言葉を述べた。彼ならきっと奥さまを幸せに出来るだろう。二人と、その家族に幸あれ!

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2009年3月24日 (火)

コンビ解消 ふたたび

前回のブログで落ち込んでいると書いたら、何気に多くの友人が心配してくれてたらしい。まぁ、その多くは「40近くにもなって、何裏切られてんだよ、ば~か」だったんだけど…

その中の一人、東京の藤代は特に心配?してくれたらしく、もう一人の懐かしい友人を伴って御殿場に来てくれた。

キャイ~ンの天野である。

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彼らは大学の頃から「コンビ解消」、というコンビを組んで漫才をやっていたのだが、藤代の留年にともない、文字通り「コンビ解消」してしまった。その後天野は同じ事務所のウド鈴木と出会い、コンビを組んで現在に至るのだが。「キャイ~ン」という名前にしたいきさつは、大学卒業の頃、藤代と天野が何かにつけて「キャイ~ン、キャイ~ン!!」と唸っていたからなのだが、自分が東京に引っ越すときの軽トラの中で天野と藤代は「キャイ~ンの五段活用」という法則を打ち立てた。

①悲しい時のキャイ~ン→「キャイ~ン…

②嬉しい時のキャイ~ン→「キャッイ~ン!」

③怒った時のキャイ~ン→「ム・・キャイ~ン!」

④人に道を尋ねられた時のキャイ~ン→「え~と・・キャッイ~ン!」

⑤歯を磨いた後の清々しいキャイ~ン→「シャコシャコシャコ…ペッ。 キャッツィ~ン!!!」

要はただの「キャイ~ン」なんだけど。当時、あまりにも「キャイ~ン、キャイ~ン」ばかり言っているので「もうお前らコンビ名キャイ~ンにしろよ」と冗談を言ってたら本当にそのまま「キャイ~ン」になってしまった。

自分は映画監督になる、という大それた夢を抱いて上京して、3年後に夢破れて山河ありの状態になったのだが、天野は持ち前の要領の良さと人脈でどんどん出世していった。去年あたりには自分を出し抜いて映画を撮ったし(しかも公開日は俺の誕生日だったし(-_-X))、最近では銀行に「これ以上資産をなにか活用しないと」と言われ、オフィス何とかという、うさん臭い節税会社を設立してウハウハ状態らしい。うらやましい~の~。まぁTVの世界で生きているのだから当たり前のことか。

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今ではすっかり道が分かれた3人だが、16年の歳月を経ても、会えばまた昔に戻れる。奥のサムは飛び入り参加だが…

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売れてから急激に太った天野だが、この間TVで見たら痩せていた。実際に会うとそうでもなかったが、しきりに「俺は12キロ痩せた!」と言い放っていた。大丈夫。俺もお前もデブ仲間♡ ミーハーな嫁さんは天野と一緒に写真を撮って超嬉しそう。そんなに天野を甘やかすな!

Dscf3425次にサムと一緒に写真をとったら嫁さんのテンション下がりすぎ!ただしサムも芸人に見えるといえば見えるのだが…。

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リッチで有名人の天野に何故かマックのコーヒー無料券を進呈するサム。天野も困っていたぞ。

天野「俺これ持ってマックに行く勇気無ぇ~」 サム「行っとけ行っとけ!」

今回、天野も有名人なりに色々な悩みというか気疲れがあるという事を知った。どんなに立場が変わっても人は悩みと付き合っていくもんなんだ。この後天野から長女のクウへの卒園のお祝いの言葉を撮影させてもらった。翌朝クウは「バナナの王様の人だ!」と喜んだ。

朝方まで花の舞いで語り合い、疲れはてた。すっかり有名人になった天野だが、自分にとってはいつまでも四畳半一間のアパート仲間のつもりでいるものだから、遠慮なくいろいろ言わせてもらったように思う。御殿場に帰ってからは全然連絡もしなかった自分なのに、天野は自分の車で慣れない中央高速を飛ばしてわざわざ会いに来てくれた。俺の料理を楽しんでくれた。

ありがとう。藤代と天野、そしてサム。今度来る時は東名で来なさい。

いつか天野に金正日の役をやってもらいたい。みんなもっと弾けようぜ!

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2008年12月 4日 (木)

12月の決起集会! 

決起集会、と勇ましく書いたが、要はスタッフミーティングの事である。

一年のうちで最も忙しい、とされる12月。ウチの店も宴会のご予約を多くのお客さんから頂いている。景気が悪い、悪いとされてる中、何も広告を打たないのに例年どおりに予約の電話をもらう事は本当にありがたい。

ありがたいと同時に期待されてる、という事への責任が徐々にプレッシャーにもなってくる。毎回予約してくれるお客さんには毎回違うものを出したい、しかしあまりブレナイようにもしなきゃいかん、という気持ちが胃をキリキリ苦しめる。この時期に胃薬の使用が増えるのは職業病というか、仕方のない事なのかもしれない。弱っちい男だ。

またこの時期には持病の腰痛も出てくるので、合間を見て沼津へ針治療にも行かなきゃならない。つくづくこの仕事は体力勝負だと思う。思いっきりブルーカラーなんだ。

今日はスタッフに集まってもらって「決起集会」を行った。シフトの確認、予約状況、注意事項、メニューの試食など。スタッフのほとんどが昼間に本業を持ってでの熱々なので、いつもよりキツメのシフトにやや当惑気味だ。しかし頭を下げて無理を聞いてもらう。今回は「サービス」について話し合いもした。一体どんなサービスがウチらしいんだろう?自分でも未だ掴み切れてない。お客さんが気持ちよく過ごしてもらえるように僕らはどうすれば良いのだろう?また働いている僕らもサービスしてて楽しい、と思えるようになるには?道はまだまだ遠い。

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彼女たちの屈託のない笑顔を、生かすも殺すも自分の度量次第、ということなんだよな…

先日みた「ビューティフル」という映画で、タカビーだった主人公がミスコンの審査会場で司会に「あなた自身の好きな所は?」と聞かれ、ちょっと考えてから「自分の好きな所はありません」と正直に答えたあと、「でもこれからです」と答えたシーンが印象的だった。

そうなんだ。これからなんだ。

来年からは正規にスタッフが入る事にもなっている。12年やってきて初めての経験だ。彼らの生活の保証もしなくてはならないし、自分たちの生活もある。今まで以上に頑張らなくては!

そしてその後の将来設計もある。最近になってそれがようやく固まってきた。その夢に向けて来年早々からそのための勉強が始まる。険しい道のりだ。

こども達やスタッフへ「夢は必ず叶う」って事をみせてあげたい。そしてその喜びを共に分かち合えれば最高だ。

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2008年11月 9日 (日)

聖なる酔っ払い達

今日は顔見知り、というよりほぼ身内のお客さんに来ていただいた。ありがとうございます。

なのでサービスとして(?)写真をUPさせていただきます。奥さんと入れ違いに、大分からわざわざ帰ってきた仁ちゃんと、以前スタッフとしても手伝ってもらってたサム。サムとはくされ縁の仲だ。

二人ともビールが大好きである。

最初の一杯目。

Dscf2074_2 Dscf2255

2杯目。

Dscf2075 Dscf2256 仁ちゃんあまり変わらない…

3杯目。

Dscf2257_2  Dscf2071_2 てやんでい!ギャハハ!

色気はなくとも、男同士で飲む酒はうまいな。

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