最近思うこと

2014年8月 5日 (火)

中川ウェルキャンプの悲しみ

また、自分の大好きな丹沢で事故が起こってしまった。

楽しい筈のキャンプが一転、深い悲しみに包まれている。

去年のGWに自分達家族もこのウェルキャンプでキャンプをして、このブログにもUPした。





不本意ながら、少なからずもウェルキャンプを宣伝してしまったような結果となってしまい、気持ちは複雑だ。


確かに自然の中のキャンプには危険が潜んでいる。
そこが例え整備された有料のキャンプ場であっても、いつ子供が怪我するか分からないし、自分達だってそうだ。

だから基本的には自己の判断で、楽しんでいても何処か冷静な目で見ていなくてはいけないと思う。

今回の事故を聞いた時、真っ先に思い出したのは16年前にもなるのだろうか、同じ丹沢の玄倉、という場所でキャンプをしていた人達が、大雨で消防などの警告を聞かずに中洲で朝まで過ごし、濁流と化した川の流れに子供もろとも流されてしまった事故だった。

僕らは良くその場所でBBQをしていた。
だから事故があった時、とても他人事のように感じられなかった。
ひとたび間違えれば、自分達が当事者になっていたかもしれなかったからだ。
残酷にもTVで生中継もされていた。

あの時のフライデーの雑誌を未だに持っている。捨てられない。

早く中州から上がっていれば、もっとレスキューがしっかりしていれば、
欲を言えば自衛隊に救援を頼んでいれば、と
雑誌を読み返す度に切なくなる。

あの時に亡くなった子供達は生きていればもう立派な成人になっていただろう。

あの事故は支えきれなくなったダムの放流や、大人達の身勝手な状況判断などで痛ましくも起こってしまったのだが、
今回の事故はそれだけでは無いような気がする。

やはり、ウェルキャンプの責任が重いような気がするのだ。

以前にGWのキャンプの下見に行った時、景色の良さや広々とした環境や設備に感心したが、
その時も重機が出てて何かの作業をしていた。
多分整地作業だったと記憶しているが、その時はさして気にせず、却って(ああ、ちゃんと管理しているんだな〜)位しか思わなかった。

その場所こそ、今回の事故の現場だった。
ニュースで見る限り、河川を勝手に自分達の都合良く変えて、県から何度も行政指導を受けていたらしいじゃないか。
その度に直し、また変更する、といったイタチごっこを続けてきたようだ。

それは、「お客様の為」だったのだろうか?

確かに日本のキャンプ場では言葉は悪いがハイシーズンには、それこそ難民キャンプの様な密集地帯と化しているし、
その中で少しでも人のいない、来ない場所を選ぶとすると、リスクを冒しても今回の中洲の様な場所を選びたくなる気持ちも分かる。

いくら四駆とは言え、今回の事故の車はワゴンタイプであり、決して車高の高い車だったとも言えない。
それにも増して、売店のおばちゃんだか、なんだか知らないが助言をしたと聞いたが、本来ならウェルキャンプの正式なスタッフが危機管理をもっとして、キャンプ場のスピーカーで呼びかけていれば今回の事故は未然に防げたんじゃないか!と強く思うのだ。




GWの時は凄い人数のお客さんが来て、高いトップシーズン料金を払い、レンタルや、売店や、レストランや、BBQ場や、釣り堀や、風呂で金を使い、多量のゴミを出して帰っていった。
そのゴミの始末にもキャンプ場はでは大変なんだろうが、需要には答えなきゃいけないんだろうし、
全ては結局、「金」の為である。

あれだけの悲しい事故を起こしておいて、現在も未だに営業を続けているウェルキャンプの気が知れない。
また来る客も客だ。TVでも見たが、亡くなった現場の川で子供を遊ばせている親の気が知れない。

夏休みまっさかり。子供も親も楽しいイベント事には欠かせないシーズンだ。ウチもそうだ。
今、息子がサマーキャンプに一週間留守にしている。富士登山もするそうだ。
息子にはかけがいの無い一週間になるだろうし、親である自分も息子の為になるだろうと思っている。



だけど、送り出す時、大袈裟だが、息子の死に目に会えない気持ちで頭をなでた。
今生の別れ、ってやつだ。

それ位の覚悟が無きゃ、大事な息子を他人には預けられない、と思うのだ。

今はただ、亡くなった奥様とそのお子さん達の冥福を祈るばかりであり、
ただ一人生き残った旦那さんが立ち直ってくれる事を願う。

そして、それでも自然との触れ合いを大事にしていきたい、と思う。







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2011年3月17日 (木)

911から311へ

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今までこんな惨劇があっただろうか?
この衝撃は以前起きた911以来だ。

地震が起きた時、自分は呑気にうたた寝をしていた。ユラユラッ、ときた時には(あ、いつもの地震か~)と夢うつつだった。

しかし、揺れがただ事でないのに気がつき、学校から帰ってきていた子供達に「外に出ろー!」と叫んだ。

しかしいつもタイミングの悪い太郎はその時トイレにて大piscesbearingの真っ最中。
パンツもそこそこに、首根っこをつかんで裸足のまま外に連れ出した。
自分はとっさに財布と(全財産)、何故かビデオカメラを持って外に出た。多分、ジャーナリスト魂が無駄に出た結果であろう。

外に出たら立っていられない。勿論カメラなど回す余裕もない。必死に子供と地面にうずくまり揺れが収まるのを待った。

その日は停電となり、キャンドル営業してその場をしのいだが、暗くて、暗くて、調理に随分手間がかかった。いつもと同じ感覚で料理が出来ないのだ。
つくづく、自分達は電気に頼って生きてるのだと痛感した。
それと同時に、オール電化というのもどうかと思った。電気が止まったら全てパーである。電話すら使えない。
暗くて大変だけど、直火で料理する原始的生活も悪くはない、と思った。


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その日から身の回りの品が少しずつ無くなっていった。電化屋に行けば長蛇の列で、皆奪い合う様に電池を買い漁り、ガスボンベやローソク、灯油やガソリン、トイレットペーパー、非常時食品、果ては米までもが売り切れ状態である。

計画停電、というのも初めての経験だ。しかしこの計画停電、やったりやらなかったりで、無計画この上ない。時間に合わせて仕込みやら色々忙しくやった挙句、停電しない、というのは有難い事なのに(ナンダヨー!)とつい思ってしまう。

だけどそんな事で愚痴たれてる場合じゃないのだ。被災地では食事も満足に取れない人達が今この瞬間も寒さで震えているんだから。


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知り合いのお客さんから「こんな時に被災者に役だつ仕事をしていない自分の力不足を実感する」とのメールが届いた。

確かに自分が今出来る事って何だろう?と考えてしまう。

何もかもほっぽり出して被災地に向かい、瓦礫の中から未だに救いを待っているかもしれない生存者を助けだしたいし、料理の腕を奮って温かい食べ物を作ってあげたいし、それが駄目ならいっその事ホース片手に原発4号機の中に飛び込んでやりたい、とも思う。

実際には多少の義援金を送るか、せめて節電に務めるとか、そういった事しかできないのだろうか?

日を追う毎に事態の深刻さが増してきてるようで、ともすれば無力感に苛まれる。しかし、それではいけない。

折しも3月11日、その日は東京都知事選に石原慎太郎が出馬の意向を話していた日だった。石原慎太郎は「このままでは日本が危ない。沈没してしまう」と言っていた。その直後の今回の大地震。確かに、ある意味日本は沈没してしまった。

津波に襲われて壊滅状態の町を見ていると、戦後、焼け野原になった日本はこんなだったのかな?と想像させられる。

0からのやり直しなんだ、きっと。

今、全ての日本人にとって大事な時期が来たんだと思う。

そしてこの惨禍を乗り越えられたら、きっと日本は今以上に良くなると思うし、日本人の底力を、自分の力も含めて信じている。

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2010年12月 6日 (月)

笑いながら泣きやがれ

しばらく見ない内に、富士山に雪が積もっていた。ありゃま!

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下ばっか向いてないで、たまには上を向いて歩かなきゃナ。

そして先日は高尾祭だった。この祭りが終ると御殿場は本格的な冬に入る。

夜仕事が終わってから甥の「真ん中」と行ってみた。申の神様か商売の神様の祭りだと聞いていたので、最近5~6年行ってないな・・・とやや反省していた。

その昔は御殿場の冬の祭りの代表格で、祖母や祖父によく連れられて来たもんだが、狭い参道を人がギュウギュウと詰まり、小さい自分はどこかのオバサンのでかい尻に埋まってしまい、息が出来なくて初めて祭りで死にそうなった事を思い出す。その後「尻フェチ」になったのは言うまでもない・・・

高1の頃には、いっぱしの不良ぶって屋台の焼きハマグリと枡酒を売る店に潜り込み、他の親父たちと混じってドキドキしながら酒をすすった。今思えばなぜ店の店主や、他のオヤジに怒られなかったのが不思議だ。たぶん祭りの時くらいは無礼講、みたいな感じだったのだろう。良い時代だったんだ。焼きたてのハマグリの香ばしさと、木の香りがプ~ンと漂う酒の相性が抜群だった。

そんなハマグリ屋台もいつか消えてしまって久しい。今回も店が終ってから行ったせいか、閑散としていて、テキヤも片付けに入っていた。昔は明けがたまで営業していたと思ったんだけどな~。「真ん中」は酒が飲めずにがっかりしていた。コンビニで缶ビールを買ってやったら喜んで尻尾をふった。

高尾祭の恒例行事といえば他にもあって、祭りに行った帰りには近くの親戚の家に必ず寄って、ご馳走になっていた。母親の兄の家で、建設業を営んでいたせいか、高尾祭の日には必ず熊手や大達磨を買い込んでTV台の上にどっしりと置いていた。親戚や職人さんたちが大勢集まって叔母特製のモツ煮や漬物をつまみにワイワイと飲っていたのを思い出す。

この家のモツ煮は今まで食べたモツ煮の最高峰で、叔母に幾度となくレシピを聞き出そうとしたのだけれども、いつもやんわりと話をはぐらかせてしまっていた。要はとにかく丁寧に、かつ徹底的にモツの下処理をするのだそうだ。コツはそのくらいだったのだろから、叔母は教えるのが恥ずかしかったのかもしれない。でも多分、そこの所がモツにとっては最重要なんだろう。

大勢の職人さんに囲まれて上座に社長である叔父がどっかりと座り、あれこれと指図していた。自分もテーブルの端に座ってモツ煮やら刺身やらをちゃっかり食べながら大人の会話に混じって楽しんでいた。

今でも大工さんやら、映画の技術さんやら、その他の無愛想ないわゆる「職人さん」に自分はウケが良い、というか結構すぐ仲良しになれるのには、この時の「修行」が案外役に立っているのかもしれない。社長の叔父も「頑固一徹」を絵に描いたような人で、すぐ怒るし、不器用で融通が効かなく、子供への愛情表現もヘタクソな昭和ひとケタ?世代の人間だが、その心の内は本当に優しいオッチャンなのだ。自分もこのおっちゃんやら祖父やらの血を僅かでもひいている所があるので、変に職人みたいにこだわったり、そのせいか知らんが商売下手だったり、顔が無愛想なので他人に誤解を受けたりする。損な血筋なんだ。本当は俺めっちゃ優しいんですけど・・・( ´_ゝ`)フーン

閑話休題(どうでもよろしい)。

やがて大人の会話に混じるのも飽き、腹も膨れると向かいの部屋に行く。そこは長男のシンゴちゃんの部屋だった。彼はウチの出稼ぎスタッフ兼ミクシイの管理人でもあるサオリンの叔父だ。

自分より8つ年上のシンゴちゃんは自分にはいわば大きいアニキみたいな存在で、自分の遥か彼方を進んでいる憧れの存在だった。部屋に一歩入ると、そこは70年代のロックの聖地みたいに見えた。壁にはキッス、ジミヘン、ビートルズ、ディープパープル、T-レックス、ジャニス、ディランなどのポスターやレコードがずらり、エレキギターやフォークギターが常時2~3本、でかいドラムセットがで~ん!と置いてあったり、どう弾くのか分からん民族楽器があったりと、まさに御殿場のウッドストックかアップルレコードスタジオだったのだ。

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部屋に入るとシンゴちゃんはいつも「オウ!」と気さくに声をかけてくれて、いつも何かしらのレコードをかけてくれた。どこが良いのかさっぱり分からない音楽もあったけど、シンゴちゃんは「これが良いんだ」とばかりにベッドに横たわって細い目を更に細くして聞き入っていた。そしてギターを手にとって弾き方を教えてくれた。チューニングの仕方や、3コードのロックンロールを最初に教えてくれたのがシンゴちゃんだった。自分はこの世代の人たちからロックを教わった。そしてそれは今、自分の甥や姪、子供たちに引き継がれている。

やがて自分も大きくなり、今の店を建てる時に、建設業であるシンゴちゃんや叔父に手伝ってもらった。店内のレンガ貼りや階段、左官屋が嫌がってこっちに丸投げした手塗りの漆喰壁もシンゴちゃんと自分で何日もかかって仕上げた。いわばシンゴちゃんとの合作だったわけだ。

Img_0060_3 そんなシンゴちゃんが急に亡くなってしまった。

つい1週間前まで実家の車庫を直してもらっていたのに。

心筋梗塞だった。

お見舞いに行く途中の車で訃報を聞いた。

病院に行くと目を泣きはらした彼の子供たちとすれ違った。

自分は何のなぐさめの言葉もかけてあげることが出来なかった。

奥さんに「顔をみてやってください」と言われ、シンゴちゃんの顔をのぞいた。

まるで自分だった。

幽体離脱でもしたのか、と思うほど、それはまるで自分の死に顔だった。

最後の最後までシンゴちゃんは自分にメッセージを残してくれたようだった。

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青く澄み切ったた日曜の昼に、シンゴちゃんは空に旅立った。

通夜では彼の好きだったビートルズの曲が流れたらしい。

叔父に「シンゴちゃん、残念だったね」と声をかけると、今まで見たこともない位に小さくなってしまった叔父は目をしょぼつかせて「死んじまったモンはしょうがないよな」と小さく頷いた。

自分は泣かなかった。しかしもう少しで泣きそうだった。

一家の大黒柱を失った家族の悲しみといったら、どれだけの言葉を探しても見つからないのだ。

葬式には親戚や友人が多く集まった。僧侶はモンゴルの「のど笛」のような素晴らしい声でお経を読んだ。まさに仏陀の代弁者のようだった。

親戚連中は「こんな時にしか会えないのもなんだけど」と言いながら、お互いの近況報告をしあっていた。結婚した者、子供が生まれた者、足腰がだいぶ弱まった者、引越しした者、進学した者、卒業する者、成功した者、しない者、さまざまである。

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死の悲しみにくれる一方、生の喜びも分かち合う。「お葬式」とは案外そんなものなのかもしれない。泣きながら笑うんだ。

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そしてそれは次の世代へと引き継がれていくのだ。

姪のサオパニのブログも見てやってください。

彼女から見たシンゴちゃんへの愛が綴られています。

http://blog.livedoor.jp/saopanic/

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2010年9月30日 (木)

装いも新たに…

皆さん、お疲れ様です。 ブログのバックを変えてみたんですが、如何なものでしょう?熱々らしくなーい!という意見が有ればすぐ戻します。 今年の猛暑の所為か、パソコンのキーボードが壊れまして、ブログのログインすら出来ない状況になってしまいました。運良く携帯からココログを打てるアプリがあったので、現在セコセコと携帯で書いてます。 しかしこのアプリ、何だか不具合が多く、一度投稿した記事が消えたりする事が多く、前回の藤代と天野の記事や、東京さ行くだ2の記事が消えてしまってます。何も故意に消した訳ではありませぬ、念の為。 一度書いた記事をまた最初から書くのには閉口なので、そのままにして先に行きます。 最近、頓に野菜が高くて困ってます。夏から秋へ、そして冬へ移行する今の時期は供給が安定しにくいのですが、今年はヒドイ。パセリひと束1900円!でした(本日調べ)。 ですからウチの畑が大活躍しそうなものなんですが、パセリもイタパセもルッコラも植えたばっかでまだ収穫できないんです! 仕方ない、ルッコラは今の時期諦めて、クレソンで代用しようと、今日は道志村の道の駅に行ってクレソンを求めてきました。 4BCC8FCD-B4B5-40D6-B9A0-2D1EFD69F9A0 329D123E-46FA-4ADE-9C5A-C07BFCA8176B 地元の野菜や味噌、お土産ものがたくさん並んでます。手作りの豆腐もあります。 03031100-132A-45A8-8DD8-43BF95257D06 地元の名産、クレソン。清流に育まれ、爽やかな香味とピリッとした苦みがステーキやサラダなどに良く添えられます。クレソンの天ぷらやおひたしなんかも良いですな。ちなみにここの道の駅ではクレソンのアイスもあります。お試しあれ。 明日から10月ですな。タバコも値上げで知り合いは親の為に20万円分位タバコをまとめ買いしてあげたそうですよ。親の為ならタバコ辞めさせる協力をしてあげた方が良いんではないのかい?って思うのですが… しかも、そのタバコは親に売るらしいど!何の親孝行にもなってね~! さて、そんなセコい野郎は誰でしょう?

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2010年8月 1日 (日)

真夏の夜の夢

今日も暑い一日が続いて、御殿場ではよさこい祭り、沼津でも祭りがあって、嫁さんと子供達は電車で沼津へそうそうに里帰り。自分はオアシス御殿場の無料券が今日までだったので、風呂とリンパマッサージをやってもらってヘロヘロになりました。オイルマッサージ、効きますが、こっ恥ずかしいですな。

スロースタートで仕事が始まり、九時すぎに沼津の祭り帰りのお客さんがチラホラと。
そんな中の浴衣姿の美女三人をお願いして写真を撮らせて頂きました。
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やはり日本の夏は浴衣ですな。
何の屈託もなさそうに笑う彼女達を見ていると、こちらも元気が出て来ます。
今の時期、厨房はちょっとしたサウナ状態。仕込みで昼間から調理場にいると「あ~じぃ~ 暑い」。やる気が無くなります。夜になると疲れはピークに達し、甥のたけひろのちょっとした失敗にも「何やってんだ!テメー!」と、瞬間湯沸かし器に変貌します。
悪いな、とは思っているんすけどネ。

洋服の方がそりゃあ楽に着れるだろうし、着たら着たで脱ぐのにも(脱がせるにも♡)一苦労する着物ですが、日本の女性にいちばん似合っていると思いますね。なんかこう、情感が出ているような、お淑やかな色気があるような、何言ってんだか?

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彼女達の人生の中で今がいちばん若く、健康で、輝いている時期なのかもしれない。
その一瞬を対 お客さんとしてだけど、一緒に共有できるのは嬉しい事なんです。要は軽く恋してしまうようなものなんだ。
だから私は実際の年より若く見られるのだ?

それは夏の夜の夢の如く、甘くて切ない、かげろうのようなお話しでございました。

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2010年6月11日 (金)

祝一万人突破!

当ブログの訪問者数が気がついたら1万人を超えていた。
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おととしの八月から約二年かかって1万人超え。他の人気ブログから見たら笑っちゃう位のスローペースかもしれないけど、例え一瞬でもウチのブログにこれだけ多くの人が来てくれた事に改めて感謝します。

ココログにも無料で使わせてもらって大変有難いですよ。これからもよろしく~。

アクセス解析にリピーター率を調べる機能がある。多くの方は一回でその後尻つぼみ式に週に二回、三回、月一、月二となって行くんだけど、365日、と言う所に2~3人程居る。まさか毎日訪問しているわけではあるまいよな⁇

自分だって毎日はこのブログ開いてられないぜ。すっげー。仕事でやってるのかな?

ともかく、当ブログを楽しみにしてる人も確かに居る事なんだし、自分も色々書いたり、世に発信する事も好きなので今後とも店同様、よろしくお願いします。

一万人目はぜったい自分だ!と言う方が居られたら、コメント残して下さいな。店に来てもらえたら一杯奢りまっせ!3D610640-4531-4E3E-97D3-F89DA95558AA

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2010年4月 9日 (金)

義理と人情

先々月の事だが、店の近くで車をぶつけられた。久々に背筋がギョッとした。

天候の悪い、雨がぼしょぼしょ降っている夕刻で、相手は70代のオヤジさんだった。

バックから出てきて、信号待ちをしていた自分の車にぶつかってきた。自分の車はかなり凹んだ(自分もへこんだ(u_u。)が、相手は後ろにタイヤを積んでいたので、かすり傷全くなしだった。

普通に警察を呼ぼうとしたら、派出所の巡査が「車動かせますか?それなら駅前の交番まできてください」と言われ、あぜん、とした。最近はそうなってるの?

仕方なくオヤジさんに「派出所に来てください、だそうです」と言って、逃げられるかもしれない恐怖と闘いながら交番まで行った。交番では3人の巡査たちが何するでもなく、普通に居た。

だったら、来いっつーの! щ(゚Д゚щ)カモォォォン

調書を取っていると、オヤジさんが「実は…」と言いだした。なんでも対人保険は入っているのだけど、対物には入ってないんだそうだ。

えっ、今時そんなの在りかよ…

それでもオヤジさんは「自分でお金払いますから、ちゃんと直して下さい」と言った。言っちゃあ悪いが、ショボクレた服を着ていて、あんまりお金に縁のないっぽい感じだったので、「大丈夫ですか?けっこうかかると思いますけど」と念を押したが「良いです、私が責任もって弁償しますから」と言ってくれた。

公平を期すため、ディーラーに持ち込み、オヤジさんにも来てもらって見積もりを確認した。たかが凹んだ箇所を直すのに20数万円の見積もりが来ていた。それにプラス、レンタカー代がかかるのだが、そこはなんとか勉強してくれと頼んだ。

その際に「やっぱ貧乏人なら保険はきちんと入りましょうね」みたいな事をエラソーに話した。オヤジさんは潤んだような目で自分を見ていた。

三週間くらい待ってようやく車は直ってきた。さぞかしレンタカー代がかさんだと思い、心配していたが、オヤジさんは保険屋と交渉して対物に入りなおし、費用は保険で済んだとの事だった。なんかホッとした。

驚いた事はその三日後だった。

オヤジさんが店に来た。懐から紙包みを取り出し自分に渡そうとした。中身は諭吉さんが五枚入っていた。貰えない、と断った。(ホントは喉から手が出るほどだったが…)

お互い、貰えない、いや受け取ってくれのやりとりを何回かした後、オヤジさんは二枚抜き取って「これだけ有れば今月持つから」と言って、三万円置いていった。

内心、非常にありがたかった。

そして、こんな人がまだまだ世の中に居るんだ、と思った。自分がオヤジさんの立場だったらどうしただろうか…?保険屋に任せてそれっきりじゃないのか…?

高齢者の方達がどんどん肩身が狭くなっているこんな世の中なのに、却って悪い事しちゃったな~と感じた。ふと自分の祖父を思い出した。

以前ぶつけられた自衛官のオヤジには最初は「頼むから警察は呼ばないでくれ」と酒臭い息で平身低頭だったのが、後で「ウチがぶつけた傷じゃない」と白ばくれられ、相当嫌な思いをしたかと思えば、今回のような誠実な人もいる。でもそんな人の良さに付け込まれたら…とも不安にもなるのだが…。

オヤジさんのした事が稀有な出来事で、馬鹿オヤジのする事が今の常識になっちまってるんだとしたら、じっさい嫌な世の中だよな~。

とにもかくにも事故ったら自分が悪かろうが、相手が悪かろうが、警察は呼ばなきゃいかんぜよ。

 だから警察はちゃんと来てくれ!щ(゚Д゚щ)カモォォォン

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2009年7月 2日 (木)

Song for Michael Jackson

マイケル・ジャクソンが亡くなった。

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これで自分の中ではマイケルが二人、死んだ事になる。

Beeaglass2_4 一人はウイスキー・ビール評論家のマイケルジャクソン氏、 もう一人は言わずと知れたキング・オブ・ポップスのマイケルだ(以下マイケルと表記)。

 

マイケルの歌は中学生の頃に姉が持っていたレコードをこっそり聞いていて、「今夜はビートイット」のギターソロが好きでよくエアギターしていたっけ。たしかソロを弾いていたのが「エディ・ヴァンヘイレン」だったと思うが、間違いだろうか?

「スリラー」のビデオクリップもしかり。MTV全盛の中でもひときわ際立っていて、物語仕立てだったり、特殊メイクだったり、あの頃の時代の先端を行っていた。監督があの「ブルースブラザース」のジョン・ランディスと聞いて、さすがだなぁ、と感心したものだ。

来日公演はたしかTVで中継してなかったっけ?TVでムーンウオークを見た気がするし、それと前後してローリングストーンズのコンサートも中継したと思うんだが…

あの頃のマイケルが整形もそんなにしてなくて格好よかった気がする。ネバーランドを作って、慈善事業にエリザベステーラーと一緒に顔を出したり、プレスリーの娘と結婚したりとかして歌とは関係ないゴシップで紙面を騒がせるようになってから、なんだか興味がなくなっていった。

きっと、多分、マイケルの最大の功績というか、イチバン輝いていた頃は「USA for Africa=We are the world」を作った時だろうと思う。

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英国のアーティストが集結して作った「Do they know its Christmas?」に対抗するかのように作られた「USA~」は曲自体は良いのだけど、あまりにも売れすぎたせいか、いかにものチャリティソングがいけなかったのか、少し経つとなんかダサくなってしまい、聞くのも、歌うのもはばかれるようになってしまった。(Do they Know~の方は今でもクリスマスソング? として人気だ)

それでも自分は時折「独り ウィーアーザワールド」を歌ってカミサンの冷笑を買っている。ヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ  カミサンはボブディランの声が嫌いなので、時々嫌がらせにボブディランを物真似する事にしている。日頃の冷たい待遇へのささやかな抵抗なんである。

今回のマイケルの訃報を聞いて久しぶりにUSA~を聞きたくなってYou Tubeなんかで覗いてみたけど、ドキュメンタリーなんかも見たけどやっぱ良いわ~。

マイケルやライオネルリッチー、スティービー・ワンダー、そしてクインシー・ジョーンズらが中心となって呼びかけ、大物アーティスト総勢45人がその日のためにアメリカ各地から集まり、一晩かけて作り上げたそうだ。もちろん報酬は無し。スタッフや機材もボランティア。この事はPOPS界に大きな影響をもたらしたと思う。ブルーススプリングティーンの骨太のサビに久しぶりで震えたよ~ ( ´;ω;`)ブワッ

最近はこういった事ってあまり無いんじゃないか?アーティストもやはり自分の事で精一杯なのかなぁ?やっぱり呼びかける人間がいないとダメなんだろうな… あの頃は「歌で世界が救える」と信じる事が出来た良い時代だったのかもしれない。

そんな所からもマイケルを亡くした音楽業界の痛手は大きいと思う。

マイケルの子供の養育費問題で、母親がダメならダイアナロスに、との遺言があったそうだ。確かに「USA~」の中でも一緒に手をつないで仲睦まじく歌っているのを見ることが出来るし、一緒にハーモニーする所はマイケルの気持がダイアナロスに引き継がれていくのを感じる事ができる。

Daiana_maikeru_2 Images 

だから、今こそ「USA FOR AFRICA」は改めて再評価されるべき、マイケルから世界の人々へ届けられた歌なんだと思った。

usa for africa→  http://www.youtube.com/watch?v=odFw2upBdQg

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2009年5月 9日 (土)

最近思うこと

ご無沙汰しておりました…(○`・ェ・)ノ【こ】【ん】【に】【ち】【ゎ】

すみません、いろいろとバタバタしておりました…

なんだかんだで仕事が終わると午前様、それからどっこいしょとネットにつなげていろいろ書くのが段々つかれてきている今日このごろです。メールなんて絶対見てないし。

もう歳なのかなぁ…? 今年で40だしな~ アラフォーどころかまんまフォーッ!だよ…(´・ω・`)ショボーン

最近は来店してくれるお客さんの層も変わりつつあり、50歳代と見受けられるオジサマ、オバサマの方たちも増えてきたようだ。団塊世代の方も時折見えられる。

そういう方達はいろいろ食べ歩いているようで、お目も高いし、美味しくて、ヘルシーなものを求めるのは勿論、食の知識を深めようとすることにもどん欲だ。そういう方に満足してもらうには緊張もするけど、やりがいもある。

最近の景気のせいか、自分も含めてだけど、多くの若者は早くて気軽な食事をするようになってしまっているようで、「腹がふくれりゃ良し」との風潮が広がってしまっているようだ。自分も店では所謂「スローフード」を作っているくせに、プライベートでは「ファストフード」をついつい食べてしまう事もある。

先日、元スタッフのユウジの家に呼ばれてバーベキューをご馳走になった。豪快に鉄板で牛肉を焼いたり、ユウジが釣ってきたアオリイカを焼いたり、海老や豚、ホタテなんかを親父さんが持ってきた非合法(!)のどぶろくと一緒に食べた。メタボな自分にとってはハイカロリー満載のバーベキューだったが、ユウジの庭になっていたローズマリーをむしり、豚肉と一緒に焼いて、フランスパンに挟んで、友人のナイキのスイス土産のチーズも入れ、同じく庭になっていたイタパセも挟んで食べた所、目がテン。

旨いって、シンプルで良いよな~。

生きるために「食う」のは当たり前だけど、ちょっと工夫するだけでこんなにおいしくなるのは人間だけに与えられた特権だよ、とつくづく思ってしまいました。

まぁ、これからのフードビジネスのキーワードは「国産」や「ヘルシー」や「ビオ」なんかがどうしても無視できないだろう。「自給率」なんかも真剣に考えていかないと… 今はワインやビールその他で「有機栽培」の冠がくっついてくるけど、これからはウイスキーや焼酎、リキュールなんかにもビオの冠が付いてくるのは時間の問題だろうな。

死ぬまであと何回くらい食事が出来るのだろう?グルメになるつもりはさらさらないけど、シンプルで旨い!といわれるような食事を作っていきたいです。

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2009年1月16日 (金)

新年が始り…

ごぶさたしておりました。

友人の藤代からブログの更新はまだか?のお叱りをうけた。

ごめんよ…新年会で忙しいんだよ…と書きたいのだが、別段そんなに忙しくもなく、ただ単に年末から元スタッフの達也がそれこそ子貧乏神のように毎日昼から店に来てはコーヒーを飲んでは煙草を吸い、温泉に入り、パンを買っては食べ、昨日あたりは久しぶりにインター近くの打ちっぱなしに連れていかれ、170球をドライバーと4番アイアンで交互に打って時間をつぶしていた。ちなみに二人とも恐ろしく下手なので、とてもじゃないがコースには出れっこない。

かくしてスロースタートの新年がはじまった。

今日は保育園の理事さんたちとの新年会があり、参加。ビールやら焼酎などを飲んでほろ酔い気分なった。会長さん達から「どうしたの?今日は元気ないじゃん」と言われたが、なんでだろう?ちょっと風邪でもひいているのかもしれない。あんまり飲みたい気分じゃなかった。でもしっかり飲んだけどね。

理事さんたちと子どもの事でいろいろ話をしたけど、しみじみ思うのは(オレラ今親やってるんだよな~)だ。当たり前だけど話題が子供のことに集中しているし、親の目で世間を見ている部分がいっぱいある。ただ自分としては親の視点でだけで生きていたくないっつーか、他の部分も未だ未熟な部分があるので親になりきれない所があるんだけど。

世の中、新年あけてからいっそう厳しい状況だ。知り合いの製造業は週休3日制になるらしい。自分だったら喜びそうなものだが、よくよく聞いてみるとその分給料も減るらしい。まぁお金には困るかもしれないが、減ったら減ったなりに生活していけば良いじゃないのか、とも思う。今まで貰いすぎていて、それが当たり前になってしまったのかとも思う。

毎日毎日忙しく仕事して、何の楽しみもなく、お金の勘定ばかりしていても別に増えるわけでもないんだから、今は立ち止ってみるのも良いんじゃないかな?会社のせいや、社会のせいにしてもつまらないしな。自分だって社会の一部なんだし。

今は自分の中身を充実させていく、絶好の機会なんじゃないかな?って思います。

でも次回は俺怒ってます、記事を書きます。矛盾してるようだけどね。

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