THE ゴールデン商店街

2016年1月21日 (木)

ゴールデン商店街② 月夜のパン



恋人のイサムを追って長野からやってきた私を、この街は優しく受け容れてくれた。


そればかりか、商店街の空き店舗を利用したチャレンジ制度を勧めてくれて、 月3万円、という破格の家賃でお店を一軒 任してくれる事になった。

そのお店は昔、老夫婦が経営していた 小さな和菓子店だった。
ショーケースやオーブンが埃にまみれているのを見たとき、私は、 「よし、ここでパン屋をやろう」 と なぜか簡単に決めてしまった。

それから半年。お店はなんというか、まぁ、閑古鳥が鳴いている。



お客さんと言えば向かいの山猫軒の女将さんとか、商店街のお付き合い仲間ばかり。
何故だろう?やっぱりこんな寂れた商店街じゃお客さんが来ないのかな?

「バーカ。お前の作るパンが美味しくないからだよ」
イサムは私の苦労も知らずにそう言う。
「ここは都会じゃないんだから、お前が求めてるようなオーガニックだの、天然酵 母だの、固いパンだのなんて興味がないんだっつーの」



>う・る・さ・い なぁ~。分かってるって。👊
確かに隣町のベーカリーカフェを思いっきり意識してる事は確か。
私自身、長野の石窯パンで修行してきたし。2ヶ月くらいだけどさ。 アレルギー体質だから、身体に良い物を、って思うのは当然じゃない?
でも、いくら私がそう反論した所で お客さんが来てくれる訳じゃないし、 いくら安いとはいえ、毎月の家賃の支払いがある。 なんとかしなきゃ!

そんなある日のこと。
店の倉庫を片付けていた時、奥の棚から一冊の古いノートを見つけた。

それは和菓子のレシピノートだった。
最初のページに「餡」の項目がある。 先代のご主人が残してくれた魔法のレシピ。
うーむ、有難く頂いちゃいましょう‼️

次の日、イサムからお金を借りて隣町の材料屋さんに行き、北海道産の小豆と白砂 糖と赤えんどう豆をどっさり買い込んだ。

私のアイデアは和菓子とパンのコラボレーション。
まぁ、要は「あんぱん」なのだ。
でもでも、自家製の餡と天然酵母のパンで作るあんぱんって美味しそうじゃない? しかも赤えんどう豆もパン生地に練りこんで、豆大福のようにちょっと塩っ気があ るあんぱん。 さっそく、自家製餡に挑戦だ!

どれどれ。小豆は水に漬けない。え?漬けないの?
傷のついた豆は外す。 う、それってめんどくさ!
びっくり水。 なになに、素麺みたいじゃん!


砂糖は豆が煮え上がってから、一番最後。 えー!砂糖入れて煮るんじゃないんだ!
塩を一掴み。ウンウン、これはなんとなく分かる。
昼過ぎから仕込みを始めて、豆の煮方が中途半端だったり、煮過ぎたり、焦げ付かせたりと、何度となくやっている内に、気がついたらもう夕方だ。
パン生地もやらなくては。今夜は徹夜かな?

さっきイサムが帰ってきて店を覗いていたけど、呆れた表情でアパートへ帰ってしまった。



あちこちでシャッターの閉まる音がする。ここの商店街は閉まるのが早い。

パンを膨らましている間、ちょっと外に出てみる。
なんかやけに明るい、ナ、と思ったら、 今日は満月だったんだ。



月の光が店のシャッターに照り返され、通りを青白く染めている。



そのほとんど閉まった通りの中で、二、三のお店が頼りなげに灯を灯している。
酔っ払い達が肩を組み、千鳥足で歩いていく、その脇を子猫がサッと横切っていく。



今は珍しい丸い郵便ポストが街灯の微かな光の下でボーッと佇んでいる。



寂しくて、切ない風景だけど、私はこの街が好きだ。




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2015年5月14日 (木)

ゴールデン商店街① 親父のオムライス

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東京から一時間。

海に突き出した半島には小さな灯台があって、 入江には小さな漁港。

その向こうの丘を越えるとローカル線の駅があり、 戦後の闇市から発展してきた地元の商店街がある。

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その名も『ゴールデン商店街』。

名前だけは華やかだが、今や時代の流れで 後継者不足や、 隣町に私鉄が通ってからは、だんだんと寂れてしまって、 昔からの名店がなくなりつつある。

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三年前に実家のあるこの街に帰ってきた。

死んだ親父がやっていた小さな洋食屋を継ぐためだった。

今は歳を取って、最近ちょっとボケ気味の母親と一緒に なんとか店をやりくりしている毎日だ。                                    

レストラン「山猫軒」。

親父とお袋は30年近くこの店で僕と弟を育ててくれた。 昔は街も活気があって、店も繁盛していた。

今でも思い出す。 店の隅っこで弟と宿題をやっていると、ほぼ毎日のようにやってくるおっ さんが酒臭い息を吹きかけながら、

「なんだよ、おい、宿題なんて良いから、親父の手伝いをしろよ。 二人とも将来は親父の跡を継ぐんだろ? オヤジィ、良いよなー、後継が 二人もいれば安泰じゃねぇか!」

何も知らない弟は「ウン、俺 パパの店手伝うんだ!」って言っていた。

でも自分はこの店を継ぐのが嫌だった。 継ぐのが嫌だから親父と喧嘩して東京へ飛び出し、音楽で成功しようとしたが、喰えなくて レストランなどでバイトしていた。

小学生の頃、まだ元気だった親父に一度聞いたことがある。

「ねぇ、父さん、ウチってびんぼう?」

二階のベランダで美味そうにタバコを吸っていた親父はちょっと目を丸 くしてこう言った。

「ビンボー?まぁそんなに金持ちって訳じゃないけど、ビンボーじゃな いと思うけどな。 お前達に何か苦労させた事あったか?」

「いや… 別にそうじゃないんだけど…なんか見ているとさ…」

親父はフゥ~っとタバコの煙を溜め息のように吐き出した。

「まぁ、ウチは零細企業だからな。良い時もあれば、悪い時もあるのさ」
そう言って、もうこの議題は終了、とばかりに僕の頭を軽くコツン、と 叩いてから階下へ降りていった。 調理場からいつもタバコを吸った後にする、変な咳き込みの音が聞こえ た。

(零細、レイサイってなんだ?) 自分は嫌な事を聞いちゃったかな、と思っていた。

月末に、母親と銀行の通帳を見て何か言い合っているのを見ていたり、 店が暇な時に冷蔵庫の前でじっと腕組みして何か考えている親父の姿を 見ていたからだった。

昔ホテルの調理人だったらしい親父のイチバンの自慢料理は多分、オムライスだった。

フライパンはオムレツ用に別に取ってあって、他の見習いコックや家族 の誰にも触らせなかった。

でも僕には一度か二度ほどナイショで使わせてくれた事がある。

フライパンを熱し、バターを一塊りすくって落とし、 バターが少し黄金色になった時点を見逃さずに八分ほど溶いた卵をジュワーっと流し入れる。 菜箸は左回りに、フライパンは右回りに、器用に回しながら広げていく。

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まだ半熟状態の時に 別に作っておいたチキンライスをそっと乗せ、 傾けながらフライパンの端に寄せ、柄の部分を持ってマッサージ師のよ うに トントンと叩きながらしゃくると、 卵がまるで生き物のようにチキンライスを抱き込んで、丸くなっていく のだ。 それをサッと白いお皿に移して、自家製のケチャップソースをかけ、 パセリを添えて出来上がり。 600円だった。                                                            

自分はもっと高くしても良いと思っていた。

あの魔法のようなフライパン捌きは他の人に出来る訳がない。

一口スプーンを入れると、トロッとした卵とチキンライスとケチャップ ソースが絶妙に絡み合い、 チーズを入れてないのにチーズの様な味わいがする。 自分も未だに真似ができない。

親父のオムライスは最高だった。

それから18年後、親父は肺がんで死んだ。

今更遅いが、もっとちゃんと教わっておくんだった。

「心置きなく 泣かれよと 年増婦(としま)の低い声もする

 

ああ、おまえは何をしてきたのだと… 吹き来る風が私に云う」

 

中原中也

※本文中の写真は作品とは関係ありません。

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